【直撃!エモPeople】1970年代に全日本プロレスで故ジャンボ鶴田さん(享年49)と数々の激闘を展開した“野生の虎”ことタイガー戸口(74)が、31日「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」(後楽園ホール)で引退試合(戸口、藤波辰爾、谷津嘉章組対渕正信、越中詩郎、井上雅央組)を行う。全日本だけでなく海外を中心に単身暴れ回った名レスラーが、最大のライバルの節目に引退に踏み切った理由とは何なのか。戸口は実に54年間に及ぶ波乱に満ちたキャリアと「第2の人生」について激白した。
一度も引退を宣言することなく海外を中心に活躍し、54年間も現役を続けてきたレスラーは前例がない。戸口は「ここ数年、引退するキッカケを探していた。そうしたらジャンボの追善興行で引退試合をやりませんかという話があった。これ以上の舞台はない。ちょうどいいと思って引退を決めました」と語った。
1967年3月に日本プロレスに入門。団体崩壊直前の72年12月に単身渡米。「キム・ドク」として各メジャー団体でトップヒールの座を確立。76年に一時帰国して、大木金太郎との師弟コンビで全日本プロレスに参戦した。
今でも「過去最高のライバルは」という問いには「ジャンボしかいない」と即答する。70年代後半に鶴田さんがUNヘビー級王者だった時代、2人のシングルマッチはドル箱カードだった。シングル戦績は0勝1敗8分け。時間切れ引き分けは5度にも及んだ。ほぼイーブンだ。
中でも78年9月13日愛知県体育館のUN戦は屈指の名勝負とされる。60分ドローの後に5分の延長戦が組まれるも、決着はつかなかった。
「あの試合は自分でも大きな覚悟を持って臨んだ。試合前にサウナに4時間入って、体の汗を全部出した。リング上はスポットライトが当たってものすごい汗が出るから、少しでもスタミナのロスを防ごうと。でもやっぱり決着はつかなかったね、ハハハッ」
試合後、スポンサーの招待で高級クラブに招待を受け、好物の高級ブランデーが用意された。だが完全に脱水状態を起こしており、深夜までひたすら水だけを飲み続けたという。普通なら即病院のはず。鶴田さん同様に人並み外れた体力を誇った。
193センチ、125キロ。当時、スタミナとスピードで鶴田さん(196センチ、127キロ)に対抗できるのは戸口しかいなかった。「スッと入って組んでもガッチリ受け止めてくれる。こちらも対応できた。加えて俺らの試合にはスピードがあったでしょう。とにかくジャンボとの戦いは本当に楽しかった。生涯のライバルですよ」
鶴田さんとの抗争の果てに、76年と77年に馬場、鶴田組からインターナショナルタッグ王座を奪取した師匠・大木がアブドーラ・ザ・ブッチャーと結託したことがキッカケで、79年にはキム・ドクからタイガー戸口に改名し鶴田さんとコンビを結成。全日本所属となり「第3の男」の地位を確立した。
話は前後するが、海外で活躍した時期のほうが長い。「海外30年、日本24年。中近東も回った、単身で世界一周したレスラーは俺だけなんじゃないかな」。米国での恩人は「フリッツ・フォン・エリックとバーン・ガニア。本当にかわいがってくれた」と明かす。テキサス地区で暴れていた70年代中盤、エリックから「ガニアがお前を欲しがっている。合わなかったらいつでも戻ってこい」と告げられ、75年にAWAに参戦。同年10月にはガニアのAWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。
一番稼いだ時期には週5000ドルから6000ドルのギャラを手にした。当時のレートで約200万円、月収で1000万にも届く額だ。ノースカロライナ州に一軒家も購入して永住権も取っていたが、全日本参戦中の81年に馬場さんから日本定着を要請されるも、4人家族の飛行機代を負担するという約束をほごにされ、新日本プロレスへ移籍。WWF(現WWE)に参戦しつつ日米を往復。ニューヨークのMS・Gにも出場。ハルク・ホーガンやボブ・バックランドとも戦った。
「馬場さんは金銭面ではシビアだったからね。ただ新日本に行ったけれど、いろんな意味で肌に合わなかった。ポジション的にも不明確だったんで、また海外へ出たんだ」
84年にはWWFに復帰し、プエルトリコなどでも活躍。80年代前半にはまだビジネスマンだったドナルド・トランプ前米国大統領に「お前のファンだ」と言われ食事を何度も共にして友人関係を築いたという。まさに国際派の「自由人」だ。
90年代は日本でW★ING、WARに参戦。何回かのブランクを経て数年置きに試合に出場、2019年には心房細動の病気を克服し、20年には女子選手とも戦った。
引退試合に向けて4月からは74歳ながら週3~4回はジムでトレーニングを始めた。「プロである以上、ブヨブヨの体はお客さんに見せられない。引退後は年内にも警備会社をつくる予定。引退したレスラーはドンドン来てほしい。それと受け身を教えてほしいという若い選手が結構いるんだ。それは続けたいね。プロレスとは一生縁が切れないかな。俺の生きがいだから、ハハハッ」と笑顔を見せた。
最後まで「自由人」としての哲学を貫き、希代の名レスラーはリングを去るが、今後もマット界に熱い視線を送り続ける。
☆たいがー・とぐち 本名・戸口正徳。1948年2月7日、東京・葛飾区出身。67年3月に日本プロレス入門。68年8月30日の柴田勝久戦でデビュー。72年12月に単身渡米。キム・ドクとして全米でトップヒールの座を確立した。76年に大木金太郎との師弟コンビで全日本参戦。インターナショナルタッグ王座を2度獲得。鶴田との激闘を経た後、79年に全日本所属となりタイガー戸口に改名する。81年に新日本移籍。83年からWWF(現WWE)参戦。90年からはプエルトリコや日本のWARで活躍する。95年に退団後はスポット参戦が中心となるも現役を続け、5月31日後楽園「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」で引退する。193センチ、125キロ。得意技はツームストーンパイルドライバー。












