【長嶋清幸 ゼロの勝負師(18)】1990年ドラフト4位で熊本工から前田智徳が入団し、1年目から一軍に帯同した。同じ外野手でも高卒新人をこっちが意識するわけもなく、体が細いな、くらいにしか思っていなかった。

 俺もチーム内では中堅選手になっていて、ある日、球団の上の人がこう聞いてきた。「あの前田っていうのは、あいさつもしないけど、どうなってるんだ」…。俺ってそんなのあまり気にしないタイプ。あいさつはするけど、そんなことを後輩に言うのも嫌だよ。でも「前田に言っておいてくれ」と言われたからしょうがない。前田を呼んで「あのなあ。お前、社会人として考えてくれ。おはようございます、こんにちは、とか、あいさつくらいは常識として普通にするもんだ。こんなこと言うのも嫌だよ」ってはっきり言った。

 後輩をいじめる気なんてさらさらないし、そういうふうに見られるのも嫌だ。それで「頼むな」「分かりました」ってなった。そうしたら、またしばらくして、その人に「お前、話したんか? 全然あいさつせんやないか」って。また前田を呼んで「俺の言ってること分からんかな。こんなことを周りに何回も言われたくないし、頼むわ。でも、もし3回目になったら、その時は覚悟しとけよ」と言った。

 後日、移動日で羽田空港に朝行ったら前田がいた。そうしたらあいつ、俺のほうを見てパッと柱の陰に隠れた。それでカチーンだよ。普通に通りすがりに「おはよーす」でいいのに、隠れたもんだから、前田の首根っこをつかんでトイレに連れて行って、厳しくやった(笑い)。そうしたら前田はシーズン中なのに、そのまま熊本に帰っちゃったんだ。

 なんでか知らないけど、それが俺の責任になった。彼は球団から期待され、上からかわいがられていた。それで球団内で「長嶋はもういらんやろ」という流れになっていった。でも…そんなことで実家に帰るようなやつが、後にまさか2000安打も打つんやから、すごいねえ。ある意味、尊敬したよ。カープの一時代を担ってあそこまでの選手になったということは、人並み外れた努力をしたはずだし、練習量もハンパなかったと聞いている。いろんなことを言うやつはいるし、変わり者かもしれないけど、あれだけの成績を残すんだからすごいよ。

 前田は後年、チームが違っても試合前には俺のところにあいさつに来てくれるし、いい関係になった。彼が評論家になってからもコーチの俺と普通に話せるようになれたから、遺恨は全くない。当時はまだ子供だったんだろうし、それこそ高橋慶彦さんがいたら、もっと説教されていただろうね。

 そして、その年の秋、俺はトレードで中日に移籍した。忘れもしない11月の東西対抗戦(宮崎)の時、中日のあの大物打者が驚きの声をかけてきた。