【赤坂英一 赤ペン!!】日本ハムを自由契約になり、DeNAへの移籍が決まった大田泰示は、来年2度目のブレークを実現できるのだろうか。

 大田はこれまで、数奇な野球人生を歩んできた選手である。東海大相模3年だった2008年、一度は東海大進学を表明しながらドラフト直前に突如プロ志望届を提出。巨人とソフトバンクが1位指名で競合し、高校の先輩、原監督が珍しく当たりクジを引いた。

 巨人は松井秀喜氏の後継者に育てようと、背番号55を大田に与えた。実は原監督は「長嶋さんの3と僕の8を合わせた38をつけさせたかった」のだが、当時の球団代表に押し切られたという。

 大田は寮でも松井氏が入っていた部屋をあてがわれ、周囲に「ゴジラに追いつけ、追い越せ」とあおられる日々。これがプレッシャーになったのか、一軍に定着できないまま迎えた5年目の13年、何とも意外な人物が大田を高く評価した。

 当時、ラグビーの日本代表ヘッドコーチだったエディー・ジョーンズ氏が、親交のある原監督に招待されて巨人のキャンプを訪問。そこで大田の姿を目に留め、じっくり視察し、「あの選手は何という名前ですか? ポジションは?」と原監督を質問攻めにしたのだ。

「あれだけ大きな体(189センチ、98キロ)であんなに速く走れて動ける選手はそうはいない。素晴らしい運動能力の持ち主。ぜひ連れて帰って、ラグビーに転向させたい。私が3年で日本代表のフランカーに育ててみせる」

 原監督はジョーンズ氏のリップサービスと受け取ったのか、「どうぞ、大田を連れて帰ってください」と笑って応じた。しかし、このやりとりを聞いていた球団関係者によると、「ジョーンズ氏は本気で大田の素質を絶賛していた」そうだ。もしラグビー転向が実現していたら、19年に日本で行われたW杯で大活躍していたかもしれない。

 そんなジョーンズ氏の眼力を証明するかのように、日本ハムにトレードされた大田は、移籍1年目の18年に即、左翼のレギュラーに定着。巨人でのプレッシャーからも解放され、「ファイターズ最高!」とお立ち台で叫ぶなど、人間まで変わったようだった。これが大田のプロ野球人生1度目のブレークである。

 今年は不振だったものの、31歳はまだまだ老け込む年齢ではない。DeNAには、巨人で中島を再起させた石井野手総合コーチが復帰したばかりでもある。名伯楽の助けを得て2度目のブレークなるか、期待したい。