【伊藤鉦三連載コラム】星野監督の最高傑作が99年に優勝し7回胴上げ

2021年04月08日 11時00分

1999年リーグ優勝時の星野監督の胴上げ。手前中央が伊藤氏

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(15)】第2次星野政権4年目となった1999年、ドラゴンズは春先から絶好調でした。井上(現阪神ヘッドコーチ)が開幕21試合連続安打を記録するなど投打ともにかみ合い、球団史上初の開幕11連勝を記録。首位を独走します。

 攻撃陣は立浪、関川、ゴメス、山崎武らに加えルーキーの福留も大活躍。投手陣も19勝を挙げた野口を中心に川上、山本昌、武田、落合英、岩瀬、宣銅烈と先発、リリーフともに層の厚さを見せてくれました。生え抜きの選手とトレードなどで補強した選手が見事に融合したこの年のチームは星野監督の最高傑作だったと思います。

 そしてマジック「1」で迎えた9月30日のヤクルト戦で歓喜の瞬間が訪れます。守護神・宣銅烈が最後の打者・ペタジーニを二飛に打ち取ってゲームセット。ドラゴンズは11年ぶり5度目の優勝を決めたのです。

 ベンチから飛び出した選手もスタッフもみんな笑顔、笑顔、笑顔。「選手を信じてきてよかった」という星野監督はマウンド上で7回胴上げされました。このときの写真を見ると私は胴上げされている星野監督の足の近くに写っていました。泣いている選手もいて、とにかく感動したのを覚えています。

 その後、チームは宿舎の赤坂プリンスホテルに移動。ホテルのプールでビールかけが行われました。11年前(88年)の優勝時は昭和天皇のご病状が悪化していたこともあってビールかけもパレードも自粛していましたから私にとって初めてのビールかけでした。というよりほとんどの選手がビールかけ初体験です。

 立浪も福留も川上も岩瀬もみんなビールまみれになっていましたが、だんだんエスカレートしていってプールの中に飛び込んだりする選手まで出てきました。わたしは風邪をひいたりしないか、選手のコンディションが気になっていましたが、みんなそんなことはお構いなし。星野監督もプールに飛び込むなどチームの誰もがはしゃいでいました。あのときの楽しさ、うれしさ、みんなが笑顔の光景はやっぱり忘れられません。本当に優勝っていいなと思いました。

 ドラゴンズが最後に優勝したのは2011年ですからもう10年も前のことになります。今ではビールかけの味を知っている選手は福留、山井、藤井、平田、大島ら数人になってしまいました。昨年8年ぶりにチームはAクラスになりましたが、それでもドラゴンズは12球団で最もクライマックスシリーズから遠ざかっている球団となっています。

 大野雄大、柳、高橋周平、京田、根尾、石川昂弥ら現在、そして未来のドラゴンズの中心選手たちが笑顔でビールをかけ合う。そんな光景が早く見たいと心の底から願っています。

 ☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2005年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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