女子プロレスラーの“太陽神”Sareee(29)が22日に横浜武道館でデビュー15周年記念大会「太陽神Chronicle」を開催する。2011年4月に井上京子が立ち上げたディアナでデビュー。シードリング、ディアナと日本マットを渡り歩き、コロナ禍には米WWEにも挑戦。節目を迎えた太陽神が、激動のプロレスキャリアを振り返りつつ今後の野望を明かした。
――15周年を迎えて
Sareee 14歳でプロレス界に入って人生の半分以上この業界で生きてきた。やっとここまで来たかという思いもあるんですけど、今年50周年を迎えるジャガー(横田)さんや伊藤(薫)さんみたいなレジェンドに普段からお世話になっているので、自分はまだまだ若手だなって。ジャガーさんからも周年興行は30年超えてからやるものだからって笑いながら言われました(笑い)。
――2011年4月に15歳でデビューした
Sareee 中学生だったので、学校に行きながら道場で一生懸命練習してました。プロテストの時は前日の練習中に骨折したんですけど「プロレスラーになったら骨折はケガじゃない」って教わったので、当日はサラシを巻いてスクワット1000回やりましたね。
――デビューしてからの新人時代について
Sareee 失敗して怒られてばかりでした。先輩のコスチュームを洗濯して試合会場に持っていかないといけないんですけど、伊藤さんのコスチュームやZAPさんの竹刀を忘れたり…。伊藤さんのコスチュームの腕の部分をなくした時は「捜せ!」って言われて、一日中捜しても見つからないから「コスチューム屋さんに頼んで新しいのを作ります」って言ったら「そういう問題じゃない!」って。そんな中でも優しくしてくれたのはジャガーさん。米国に行く時も「私はかなえられなかったことだから、私の分も頑張ってきてほしい」と背中を押していただきました。
――20年2月に米WWEからスカウトされ渡米
Sareee 私のプロレス人生で一番悩んだ時期でしたね。WWEはものすごい人数が所属している中で試合に選ばれることも難しい上に、ちょうどコロナ禍と重なって思うように試合ができなかった。その中で女子高生のキャラクターになることになって。私としては日本から強さのある女子プロレスを持っていくつもりで行ったのに、現実で求められることは違って苦しかったです。ストレスで甘いものが大好きになってしまって、ランチの後もアメリカンサイズのパフェを食べた後にハーゲンダッツのビッグサイズを平らげて顔中がニキビだらけになった時もありました。それでも自分の中では精一杯やった。今思えば全部が経験として自分の糧になっているので、一つもムダじゃなかったです。
――23年3月にWWEとの契約を満了し帰国
Sareee 正直米国で何も成し遂げないまま日本に帰ってもいいのかという気持ちもありました。でも自分が本当にやりたいことを考えた時、限られた時間の中で最大限自分の信じるプロレスをやるべきなんじゃないかなと。原点である日本の女子プロレス界の中で一番強くなりたいって思ってやってきました。
――15周年記念大会では彩羽匠と組み、朱里&橋本千紘と対戦する
Sareee 女子プロ界の最強って誰もが認める3人と自分の興行で向き合えるってことがここまで自分がやってきたことの結果だと思います。そしてこのメンバーならおのずと今年のプロレス大賞で女子初のベストバウトが取れる試合ができると思ってます。
――今後の野望は
Sareee 24年は女子プロレス大賞、25年は女子初の敢闘賞をいただいたので、私のプロレス人生が終わるまでに女子初のプロレス大賞グランドスラムを達成したいと思ってます。去年はMVPを上谷(沙弥)が取ってるので、もちろん去年以上に私が盛り上げてプロレス界のど真ん中に立ちますよ。
☆サリー 本名・藤村沙里。1996年3月31日生まれ。東京・板橋区出身。2011年4月17日のディアナ有明大会で里村明衣子を相手にデビュー。21年4月からサレイのリングネームでWWE・NXTに主戦場を移し、23年5月に日本マット復帰。「東京スポーツ新聞社制定2024プロレス大賞supported byにしたんクリニック」では女子プロレス大賞を、25年度には女子では史上初の三賞となる敢闘賞を受賞した。158センチ、60キロ。













