1976年の夏、早大名物の軽井沢合宿を終えた時にはもう私は1年生の岡田彰布を秋の東京六大学リーグ戦からレギュラーで起用することを決めていました。私自身が軽井沢合宿の練習を手伝ってくれた数々のOBに「岡田はすごい選手になるぞ。将来はプロで活躍する」とPRしたこともあり、連日のノックの嵐を浴びた岡田。それでも、岡田は決してへこたれませんでした。あえてキャプテンと同部屋にして、フィジカルもメンタルも疲れ切っていたはずですが、どんなことにもへこたれない男。この逸材を秋からレギュラーで起用しないわけにはいきません。
秋のリーグ戦が始まり、私は岡田を開幕カードの立大戦で7番・左翼でスタメン出場させました。試合には連勝しましたが、岡田自身の結果は1回戦、2回戦ともに2タコ。それもあってか、上級生や周囲からの声では岡田のレギュラー起用に異を唱える者もいたことは事実です。ですが、私は譲りませんでした。「今に見ていてくれ。リーグ戦最後には岡田は3割打ってるから」。そうすると、岡田はその通りに打ち出しました。
開幕から、3試合目となった明大との1回戦でした。2回に岡田がリーグ戦初本塁打となる同点2ランを左翼席に叩き込みました。このホームランは東京六大学通算999号。同じ試合で、軽井沢合宿で岡田を同部屋で指導してくれた4年生の主将・八木茂が1000号を放っています。岡田が六大学の歴史に名を刻み始めた頃ですね。
次戦の明大2回戦では無安打で試合にも敗れましたが、3回戦では4打数2安打。続く東大戦では1、2回戦で計8打数3安打2打点とヒットを重ねていきます。そして当時、最も勢いのあった法大戦では、あの江川卓を初対戦で3打数3安打と打ち込んで3―1の勝利に貢献しました。
ただ、2回戦は早大にとって優勝がかかった試合だったものの、連投の江川に対し岡田が4打数1安打と奮起するも試合は0―9の大敗。勝ち点をかけた3回戦では3連投の江川に岡田も3打数無安打と抑え込まれ、試合も1―5と敗戦に終わりました。春優勝の法大のカベは高かったですね。
次戦は早慶戦で3試合を戦って12打数4安打3打点と気を吐いた岡田は、最終的に早大ではただ一人となる打率3割台(13試合45打数14安打7打点、打率3割1分1厘)の成績を残しました。打順も7番から5番に上がっていました。岡田のレギュラー起用に懐疑的だった声を、見事に結果を残すことでシャットアウトしたんです。
2年春からは岡田をほぼ5番・三塁に定着させました。ただ、開幕前に三塁守備で三塁線の打球を追った際に右のヒザを強打してしまったんです。無理させるわけにはいきませんから、私は三塁線のダイビングキャッチを禁止しました。すると岡田は「ヒザを打たへん飛び方しますから」と食い下がる。ギプスが必要なほどのケガだったのに大した根性だと思いました。
ケガの影響で開幕カードの立大戦には間に合いませんでした。1年秋にレギュラーとして打率3割。新2年生として、心機一転の春季リーグのはずがスタートでつまずいてしまいました。












