前週に引き続き早大時代の岡田彰布のお話を続けさせていただきます。私が早大監督を務めていた時代、輝く才能に出会いほれ込んだのが岡田。その後に阪神で選手、監督として日本一を経験する人物の青春時代を私は目の当たりにしていました。

 1977年春の東京六大学リーグ戦は負傷で開幕に間に合わず10試合の出場で打率2割8分6厘。開幕2カード目の明大3回戦から東大2回戦まで3試合連続本塁打を記録するなど調子が良かったのですが、レギュラーとなったシーズンで初めて打率3割を逃すことになりました。

 しかし、その後の岡田は2年秋から4年秋までの5季連続で打率3割をマーク。77年秋は3番主将・山倉和博(4年=後に巨人)、4番・佐藤清(4年=早大15代監督)、5番・岡田(2年)のクリーンアップを組んでいましたが、78年春からは3年になった岡田が不動の4番として活躍しました。そして、同春には東大2回戦でリーグ史上2人目のサイクル安打を達成しています。

 同シーズンでは1学年先輩の金森栄治(4年=後にプリンスホテルから西武)が首位打者を獲得しています。ある夜、岡田が外出先から夜遅くに安部寮に戻ると、金森が誰もいない講堂でろうそくを立てながら素振りをする姿を目撃したといいます。その鬼気迫る姿に刺激を受けたのでしょう。3年秋のシーズンには岡田が戦後4人目となる3冠王に輝きました。

 打率4割8分7厘、4本塁打、14打点も立派ですが、岡田にとっては9季ぶり27度目のリーグ優勝が勲章でしょう。3冠王よりも入学以来初の優勝を早慶戦で決めたことが印象に残っていると思います。4年春も岡田は打率4割2分6厘、4本塁打、20打点で秋春連覇に貢献。4年秋は記録への挑戦となりました。法大・田淵幸一の76打点を上回り歴代1位の81打点まで更新。12四死球もあり本塁打は2本及ばなかったものの、リーグ最終戦となった慶大2回戦で20本と大台に乗せたのはさすがでした。

早大野球部で記録を打ち立てた岡田彰布(前列中央、79年)
早大野球部で記録を打ち立てた岡田彰布(前列中央、79年)

 岡田本人も「これは抜けんやろなあ」と公言していますが、六大学歴代1位の通算打率3割7分9厘、81打点はさんぜんと輝く不滅の記録といっていいでしょう。入学前からほれ込んだ素材。六大学のスターになってプロ入りすると宣言した教え子が、期待通りに成長してくれたことは私自身にとっても指導者として自信になりました。

 この連載が始まった12月8日には早大野球部OB会長の関口、その同期の岡田と私の3人で東京プリンスホテルですしをいただきました。当日の東スポ紙面をお披露目したところ、すし店の店長さんが驚いていました。第1回コラムに登場した3人が目の前のカウンターに座っているんですから。

 次回からは私が少年時代に野球と出会い、どういった球歴で早大監督やプリンスホテル監督、巨人フロントと職歴を積んでいったのかといったストーリーをお話ししたいと思います。しばらくお付き合いをよろしくお願いします。