【中島輝士 怪物テルシー物語(94)】韓国球界から離れて帰国した2018年、私は野球道具を販売するメーカーを立ち上げました。その名は「感謝」の意味を込めた「THANK(サンク)」というブランドです。地元の佐賀県の皆さんの協力も得て「佐賀牛」の革を使ったグラブをまずは開発。故郷の人脈を駆使し畜産業者から直接、なめし業者に卸すルートを確保するなど、品質とコストの問題と向き合い解決策を模索しました。

 佐賀牛1頭から製作できるグラブは6個程度。海外産牛と比較すると少なくはなってしまいます。価格は投、内外野手用が6万円程度と高価ではありますが、いいグラブは一生ものです。プロの中でも名手といわれる選手は同じグラブを修理して何年も使用しています。日本はもちろんですが、お世話になった台湾、韓国球界でも使用してもらえるようになればと思っています。

 開発に時間を費やし、販売を開始したのが19年の1月。そこから地道に販売店の協力を取り付けて全国で扱ってもらえるように動いていきました。アマ球界、プロ野球時代、スカウト時代の人脈を駆使してサンクの仕事が軌道に乗り始めました。そういう時期になんと、私に大学から声がかかったんです。それが19年の10月のころでした。大学野球を経験していない私が大学野球の監督。大阪・鶴橋の焼き肉屋さんで20人くらいの大学野球関係者、野球メーカーの関係者らと食事をしていた時でしたね。韓国から帰国して現状などを話していると、大学野球の指導者という道を勧められたんです。

 これもプロ野球の世界でスカウトをしていたからこそのご縁で、各大学の監督たちとつながりがあったからです。そういった流れで京滋大学野球連盟の京都先端科学大の野球部監督に就任することが決まりました。

 NPBを引退後に近鉄、日本ハム、四国IL徳島、台湾、韓国野球の指導者を経て20年から大学野球の指揮官として学生と関わることになりました。年齢で言うと、50代後半から60代前半です。そこから5年間にわたり、指揮を執らせてもらって22年秋季リーグでは優勝することもできました。

 独立リーグで指導者を経験し、若い世代と関わることには慣れていましたが、大学生となると初めてでしたから楽しかったですね。ちょうどコロナ禍ということもあって難しい環境ではありました。京都先端科学大は野球はもちろんですが、勉強もしっかりやらないといけない学校だったので両立も大変でした。

 有力選手をスカウティングすることに関して大学側は協力的でしたが、卒業することに関してはハードルが高く苦労もしました。大学野球ということは、その後の就職という部分での出口戦略も必要になります。そういった面においては、元プロ野球選手で社会人野球の監督をしている人材もいますからNPB時代の人脈に助けられました。

 それでも、今の19歳から22歳くらいの学生と接していて思ったことは、自分たちが同年代だった頃よりも低年齢化しているのか、思ったより子供だなという印象もありました。野球の指導者であると同時に教育者としての立場から、驚きの経験も数々ありました。