【中島輝士 怪物テルシー物語(91)】皆さんはヤクルトでプレーした河載勲(ハ・ジェフン)という選手を覚えているでしょうか。ヤクルト時代の登録名はジェフン(Jaehoon)でした。この選手はプロ野球の世界で打者から投手に転向し、再び打者に転向する変わった経歴を持つ選手でした。
韓国で生まれ、アマ時代から頭角を現して韓国プロ野球(KBO)のスカウトからも目をつけられていました。しかし高校時代の2008年、KBOドラフトの前にMLBのカブスと外野手としてマイナー契約。09年からカブス傘下のマイナーでプレーし、一時は3Aまで昇格しました。
カブス時代には故障中の藤川球児(現阪神監督)とともにリハビリを行い、短い時間ながら和田毅とも同僚としてプレーしています。12年には日本でいうフレッシュオールスターに当たるオールスターフューチャーズゲームに出場。MLB30球団から2人選出されるメンバーに選抜されました。そこでワールド・フューチャーズの一員として出場し、後にサイ・ヤング賞投手となるゲリット・コール(当時パイレーツ)から本塁打を放つなど2安打、2打点を記録しています。
ただ、14、15年はチーム事情もあって投手に転向。それでもメジャー昇格のチャンスを得られず、15年は1Aで16試合に登板して3勝0敗、防御率2・33。そのシーズンを最後に米球界から撤退し、16年から四国独立リーグの徳島でプレーしています。
韓国では高校や大学卒業後に直接MLB入りした選手が、契約満了後にKBOでプレーするためにはドラフト指名を2年間受けられない規定。そうした事情も、日本の独立リーグを選んだ背景にあったようです。
そして、その16年当時の徳島の監督が私だったんです。ジェフンを見た時の印象はとにかく身体能力が高い選手だなというものでした。ジェフンは前期シーズンの30試合でリーグ2位の打率3割6分4厘、同1位の6本塁打の成績を残し、NPBの各球団スカウトからも注目されていました。ちなみに、このシーズンは投手としても1試合に出場し1回を無失点に抑えています。立派な二刀流ですよ。本当に野手としても投手としても両方ともいい選手でした。
当時、ヤクルトでシニアディレクターを務めていた、元監督でもある小川淳司さんにジェフンの獲得を推薦したことがありました。小川さんとは1シーズンですが、現役時代に日本ハムでチームメートだったこともあり交流がありました。ここでも時代を超えたご縁が生きることになります。小川さんもジェフンを評価してくれて、ヤクルトでプレーする運びとなりました。
16年5月30日にジェフンはヤクルトと契約し、入団会見を行いました。当時のヤクルトは主砲の助っ人、バレンティンが故障がちだったこともあり、攻撃面での保険的な要素もあったと思います。ただ、それだけではなく非常に高い身体能力と伸びしろを期待されてのものでした。ジェフンにとってもチャンスでした。












