【中島輝士 怪物テルシー物語(92)】前回に引き続き、私が出会った韓国の二刀流、ハ・ジェフンの話を続けたいと思います。韓国の高校からマイナー契約でMLBシカゴ・カブス傘下の3Aまで昇格。その後は四国独立リーグで私が監督を務めていた時代の徳島の一員として一緒に野球をし、2016年シーズン途中でヤクルトへの移籍が決まったところまで話しました。

 当時のヤクルト・小川淳司シニアディレクターは走攻守すべてにおいてレベルが高いという評価で、独立リーグの徳島からの獲得を決めてくれました。特に守備と肩に関してはNPBの選手と比べても遜色ないというより、一つ上のレベルと言ってもいいぐらいの評価をしてくれていたと思います。

 ジェフンは外野手としての登録ではありましたが、小川さんは投手としての起用も可能性の一つとして考えているようでした。ですが、こればかりは現場の監督が決めることです。真中満監督はそうした起用をされませんでしたが、当時話題になったことは確かです。

 日本からは複数球団からオファーがあったことも事実のようですが、私と小川さんが日本ハム時代にチームメートであったこともあり、小川さんが早くから興味を示してくれていました。ジェフン本人も「ヤクルトが一番、積極的にオファーしてくれた。球団が東京にあって、去年(15年)リーグ優勝している強いチーム」といい印象を持っていたようで移籍はスムーズに決まりました。

 入団会見が行われた翌5月31日には一軍の遠征先の札幌に移動。そこから二軍で調整を行い、6月8日に初昇格して仙台での楽天戦でデビューしました。翌9日には来日初安打も放っていいスタートを切ったのですが、NPBでのプレーはこのシーズンのみということになってしまいました。シーズントータルでは17試合に出場して打率2割2分5厘(40打数9安打)、本塁打はなく2打点と目立った成績を残すことはできませんでした。その後は私が去った後の独立リーグ徳島に戻って投打の二刀流で結果を残しています。

 17年はチームの守護神として起用され、13試合で7セーブ。打者としては出場した48試合で打率2割4分1厘(162打数39安打)、6本塁打、30打点、12盗塁と特徴のある成績を残しています。計52試合で投打二刀流が9試合、野手のみが39試合、投手のみが4試合という内容は、プロの二刀流として十分活躍できたと考えていいと思います。続く18年も徳島でプレーして指名打者部門のベストナインに選ばれ、リリーフで2試合に登板しました。

 さらにジェフンが面白いのは19年です。KBOの2次ドラフトでSKワイバーンズから2位指名を受けて入団。投手として登録され、61試合に登板して5勝3敗、3ホールド、36セーブで最優秀救援投手のタイトルを取っています。そこから3シーズンは投手、22年からはまた35歳の野手としてKBOでプレーを続けています。

 能力が本当に高い選手で、何でもできてしまうから、かえって落ち着くところがなかったというか…。最初から韓国プロ野球でデビューしていれば、成績も変わっていたんだろうなと思ってしまう不思議な選手でした。