【中島輝士 怪物テルシー物語(95)】2020年からの5年間、私は京都先端科学大の硬式野球部監督という立場で野球に携わることになりました。福岡・柳川高の投手として甲子園を経験し、社会人のプリンスホテルでは投手から野手へ転向。1988年のソウル五輪で4番打者として銀メダル獲得という経験を経て日本ハム、近鉄で現役を終えてからはスカウト、指導者と経験を重ね独立リーグや台湾、韓国での野球にも携わり年齢も60代を迎えようかというタイミングでした。

 大学野球を経験したことのない私が大学の監督です。学生生活を経験していませんから練習が全員集合して同時にスタートできない現実なども新たな経験でした。必修科目があったり、教職員を目指す学生には教職の科目が午後の遅めの時間帯に設定されていたり、大学の野球部の監督の難しさも体感することができました。

 前回も触れましたが、今どきの大学生の精神的な低年齢化というのか、意外と内面的には成熟していない側面も垣間見ることになりました。特に私が監督に就いていた期間はコロナ禍が重なったこともあり、いろんな問題が起きたことを覚えています。

 前の監督からあいさつや身の回りの整理整頓や部室や共用部の掃除、一般の規律などはしっかり教育されていましたので、苦労することはありませんでした。ただ、私の目を離れたところでは何をしてるのか分からない…。「セミナーに出席するので練習を欠席したい」というので、勉強しているのかと思うとその内容が「仮想通貨で利益を出す」というようなものだったり、この時代ならではのこともありました。

 他大学では学生が大麻や薬物を所持したり使用するというような事件もありました。時代という言葉で片付けてしまえば簡単なのですが、指導者として学生と接する立場からすれば放置するわけにはいきません。世の中の常識と照らし合わせて、普段の生活面から管理していかないと「少し考えたらそんなことにはならないだろう」という事件が起きてしまいますから、大きな責任の伴う仕事でもありました。

 深夜のアルバイトで学費を稼ぐといえば聞こえはいいですが、飲酒を伴うような業種で夜中から朝方にかけて従事する学生も存在しました。野球を辞めてしまったOBらの誘いなどもあり、学生であり野球人である前提を忘れ、安易な選択をしてしまう選手も存在したことは確かです。

 それでも親御さんからすれば大切な存在です。将来のことも鑑み親身になって接していれば心を通わせることができた学生もいたことは確かです。NPBのOBの人脈で野球部員として社会人チームに送り出すことは私の専門分野ですが、一般の就職となれば力になることが難しいこともありました。

 24年秋に大学との契約満了で監督を退任しました。それでも、自分がスカウトしてきた選手が今も現役としてプレーしています。その中には頑張ればプロだって夢じゃない選手も存在します。スカウトしておいてほったらかしでは冷たいですから、できる限りアンテナを張って接しています。

 次回は学生への打撃指導をする中で、開発に至ったバットのお話をしたいと思います。