【プロレス蔵出し写真館】今から30年前の1995年(平成7年)8月24日、日本プロレス史にさんぜんと輝く対抗戦が〝現場監督〟長州力の〝ひと言〟で決定した。
新日本プロレス事務所で会見を開いた長州は、電話をかけてきた営業部員に叫んだ。
「よし、(ドームを)押さえろ!」
この瞬間、東京ドームで新日本プロレスvsUWFインターナショナルの対抗戦が決まった。
電話をかけてきた営業部員は上井文彦氏。「長州さんから下関の体育館におった自分に電話がかかってきたんです。東京ドームがいつ空いてるか調べてくれって。僕はドームの担当者に電話して、確認して聞いたのが10月9日だった。それで、すぐ長州さんにコールバックしました」と上井氏が明かす。
対抗戦に至るきっかけとなったのはUインター山崎一夫が退団してすぐに新日プロに参戦(初戦は平成維震軍興行)したことだった。Uインターは契約違反を主張して、新日プロと中傷合戦を繰り広げた。
以前から新日プロはUインターを〝うっとうしく〟思っていた。アポなしで新日事務所を訪れ、高田延彦vs蝶野正洋戦を直談判した一件から始まり、1億円トーナメントをぶち上げ橋本真也(他団体へも)へ一方的に招待状を送りつけた。新日プロのエース外国人レスラー、ビッグバン・ベイダーの引き抜きでは法廷闘争中だった。長州は3バカ(宮戸優光、安生洋二、鈴木健取締役)と揶揄していた。
また、両団体の経営状態の問題もあった。Uインターは前年94年12月7日、安生がヒクソン・グレイシーの道場破りに失敗してから観客動員が激減していた。新日プロも、この年4月28、29日に北朝鮮・平壌で開催した「平和の祭典」で多額の負債を抱えた。大きな収益が見込めるビッグマッチ開催は急務だった。お互いの利害が一致した。
山崎の一件に関して長州は、話し合う用意があると高田を名指しする。これに対し、高田は8月24日の午後2時から会見を開くことを決定し、新日プロも同日同時刻に会見を行うとマスコミ各社にリリースが流れた。
当時、東スポの記者だった柴田惣一氏は前日の23日、新横浜駅で高田を直撃した。「会見でみんなと一緒の原稿は嫌だったから…。高田は『レスラー同士が話し合えば、すっきり話せる。(リングでの戦いは)これからの話し合いだけど、こっちから新日マットへ行くことも頭にある』と話してくれた」と振り返る。
翌日の東スポ紙面には「高田自ら乗り込み 新日マットで決着戦 高田vs武藤急浮上」の見出しが躍った。
長州は、会見前に東スポに目を通していた。Uインター側の様子を気にしていて、新日側にいた柴田氏がUインターにいる記者と情報交換していると、長州から携帯に電話があったという。「柴田、(向こうは)どうなってんだよ」。
この電話がきっかけとなり、直接、長州と高田の電話会談が始まった。何やら話し込んでいた長州は、突然「よし、やるぞ。逃がさんぞ」と大声を張り上げ、受話器を置いた。
そして、すぐさま上井氏に電話してから、報道陣を集め「高田がやると明言した。もう逃がさない。潰してやる」と宣言した。そこに上井氏からコールバックがあったのだった。
長州は「10・9東京ドームで全面対抗戦だ。全部、シングルマッチ。ルールや対戦相手、日程…逃げ口上は許さん。ウチはやりたい人間を全部出す。向こうも全員で来い。Uはドームで消す」と報道陣に熱く語った。
さて、「激突 新日本プロレス 対 UWFインターナショナル全面戦争」と銘打たれたドーム大会はチケットが即完売となり、6万7000人(超満員札止め)の観衆を記録した。
永田裕志&石沢常光(後のケンドー・カシン)組vs桜庭和志&金原弘光組の第1試合から観客はヒートアップ。メインの武藤敬司vs高田延彦戦(IWGPヘビー級選手権)は名勝負となり、後年、武藤は自身のベストバウトと語っている。
長州は安生とシングルで対戦。試合後のコメントが、後にお笑い芸人の長州小力にモノマネされて〝キレてないですよ〟(実際は〝キレちゃいないよ〟)の名言が〝大ウケ〟した。
両団体の対抗戦はドーム大会以後、大阪、代々木(Uインター)、福岡(新日プロ)で行われ、通算成績は新日プロの11勝13敗。山崎に辛らつにコメントしていた中野龍雄(後の巽耀)とは一騎打ちも実現した。もっとも、第1戦のドーム大会の印象が強烈すぎて、インパクトに乏しかった。
上井氏は「インターと交渉してることなんかまったく知らなかった。当時は一切マッチメイクが外に漏れる時代じゃなかった。長州さんはものすごい秘密主義だったから、絶対漏らさなかった」と語る。
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