【赤ペン!】「どうだ、コーチとしてまた巨人に帰ってこないか」。巨人・川相昌弘二軍野手総合コーチ(60)は、長嶋茂雄終身名誉監督から突然電話がかかってきた時のことを、今でもよく覚えている。

 中日一軍内野守備走塁コーチを務めて1年目、日本一に貢献した2007年オフのことだ。不意に携帯電話が鳴り、画面に誰か分からない番号。とりあえず着信ボタンを押したら「長嶋です」。川相コーチは驚いた。

「一瞬、長嶋さんのモノマネ芸人かと思いましたよ。うれしかった。長嶋さんに帰ってこいと言っていただいたんですから」

 しかし、川相コーチにはどうしても中日を離れられない理由があった。03年に一度は巨人で引退を決めていながら、原監督の辞任騒動により、引退を撤回して現役続行を決断。移籍先を探していた中、手を差し伸べてくれたのが中日の落合監督だったのだ。

 06年に引退し、07年にコーチに就任してまだ1年目。いくら長嶋さんに誘われても、落合監督に背を向けるわけにはいかない。川相コーチにそう言われると、長嶋さんもうなずくしかなかった。

「そうだな。川相は落合に恩義があるからな」

 もともと、長嶋さんは2回目の監督に就任した1993年から、堅実なプレーを身上とする川相を高く評価していた。93年の開幕前日、長嶋監督はコーチ陣に「自分が監督になったつもりでスタメンを考えてくれ」と通達。「俺は攻撃的な野球をやる」と念を押している。そこで開幕当日、コーチ全員が「2番・遊撃」に元木大介を推したら、長嶋監督は藤田監督時代からのレギュラーだった川相を起用したのだ。

“なぜ川相なんですか?”と聞くコーチ陣に、長嶋監督は「バントするやつがいないと困るだろう」と答えた。当然じゃないか、と言わんばかりに。その結果、川相は93、94年と2年連続チーム最高打率を記録。「10・8」で優勝を決めた94年はチームで唯一の打率3割をマークしたのだった。

 長嶋さんは第1次監督時代もこんなエピソードを残している。無死一、二塁のチャンスにベンチを見渡し「バント屋はいないかぁ」と言って、高田繁を代打に送った。後に高田は「バント屋と言われた時はカチンときたけど、難しい状況でしっかりとバントを決められるのは俺しかいないという褒め言葉だったんだろう」と話していた。

 長嶋さんは、そういう高田や川相のようなバイプレーヤーの本当の価値を理解していたのだ。