【赤ペン!】東京ドームの関係者入り口の中には、今も引退セレモニーで「わが巨人軍は永久に不滅です」と語った長嶋茂雄さんの写真が展示されている。今オフ、ここで執り行われる長嶋さんのお別れの会でも、当時の映像が巨大LEDビジョンに映し出されるだろう。

セ・リーグ野球フォーラムで一堂に会する(左から)阪神・中村監督、広島・三村監督、中日・高木監督、巨人・長嶋監督、ヤクルト・野村監督、横浜・近藤監督(94年11月)
セ・リーグ野球フォーラムで一堂に会する(左から)阪神・中村監督、広島・三村監督、中日・高木監督、巨人・長嶋監督、ヤクルト・野村監督、横浜・近藤監督(94年11月)

 あの長嶋さんの引退試合を欠場したことを後々まで悔やんでいた人物が2人いる。相手の中日の主力だった高木守道氏と星野仙一氏だ。

 引退試合は1974年10月14日、本拠地・後楽園球場の中日とのダブルヘッダー。本来は前日の13日に行われるはずだったが、雨で1日順延され、翌日の14日に。このため、名古屋市で予定されていた中日の優勝パレードと重なってしまったのである。

 高木氏は生前、私の取材に明かしていた。

「13日の晩、星野や私ら主力は名古屋へ帰ってパレードに参加しろと、球団から連絡があった。引退試合はどうするのかと聞いたら、二軍選手でやると言うんだよ」

 パレードの開催日は告知済みで、大勢の中日ファンが楽しみにしている。愛知県警も全面協力していた。そうわかってはいても、高木氏としては球団に抗議しないではいられなかった。

「長嶋さんに何ちゅう失礼なことをするのか。われわれ主力できちんとミスターを送り出すべきです。私だけでも試合に出場させてほしい」

 しかし、そんな主張が聞き入れられるはずもない。高木氏はやむなく長嶋さんの自宅に謝罪の電話をかけている。

「どうしても試合に出場できないんです。本当に申し訳ありません」

 この時、長嶋さんから「わかった。星野も電話をくれたよ。気にするな」と言われたそうだ。

 高木氏は、長嶋さんが巨人に入団する前、東京六大学の立大のスターだった頃からの熱烈なファンだった。県立岐阜商1年の時、学生だった長嶋さんに初めて指導された時は、感激と緊張のあまりまともに口を利けなかったという。

 それから3年後の60年、新人の高木氏が二塁を守っていると長嶋が走者としてやってきた。思わず帽子を取り、直立不動で「僕、岐阜商1年の時、長嶋さんに教えていただいた高木です! よろしくお願いします!」とあいさつ。以来、高木氏は、長嶋さんが二塁に来るたびに声をかけられた。

「どうだ、調子は?元気か?頑張ってるか?」

 試合中に敵チームの若手を励ますのも、ミスターならではだった。