【赤ペン!】世は参院選たけなわである。20日の投開票を前に物価高や消費税を巡って与野党が激しい論戦を展開。自民党が苦戦を強いられ、事実上の政権選択選挙とも言われる。
そこで思い出されるのが、プロ野球ファンが大盛り上がりとなった1992年の参院選だ。アントニオ猪木氏率いるスポーツ平和党から比例代表で江本孟紀氏が立候補。当時、浪人中だった長嶋茂雄さんが応援し、初当選に一役買ったのだ。
突如実現したミスターの協力、江本氏がお願いしたわけではなく、長嶋さん本人から「是非に」と申し出たものだった。
当初、共通の友人から「エモの応援に行くよ。演説するところを教えてくれ」と長嶋さんに伝えられた江本氏、一度は丁重に辞退したら、長嶋さんが直接電話をかけてきて、こう提案した。
「それじゃ、俺がエモの選挙事務所に立ち寄る。俺が近くを散歩していて、たまたま通りかかったということにしよう」
そこまで言われるのならと、江本氏陣営は前日に長嶋さん来訪の情報を通信社に流した。おかげで当日は朝から事務所周辺が見物人と報道陣でいっぱい。歩道から人があふれ、車道にも車がギッシリである。
そんな人だかりの中へ、長嶋さんはセンチュリーに乗ってさっそうと現れた。猛暑にもかかわらず「散歩」のはずなのに一分のスキもない背広姿。矢継ぎ早に鳴るカメラのシャッター音をまるで気にせず、江本氏にこう声をかけた。
「何、ここだったの? エモの事務所は。へえ」
江本氏をはじめ、周囲で見守っていた関係者は大爆笑。このニュースを、スポーツ紙は翌日の1面で報じた。こうして見事に初当選した江本氏は「本当に長嶋さんのおかげです」と、シミジミと述懐している。
長嶋さんがこれほど熱心に江本氏を応援したのにはわけがある。当時ヤクルトの選手で不遇だった息子の一茂を、江本氏は折に触れて励ましていた。食事に誘って悩みを聞いたこともあった。それを伝え聞いた長嶋さんは、父親としてひとかたならぬ恩義を感じていたようだ。
ちなみに、江本氏の当選以来、自民党本部ではスポーツ紙を取るようになった。一般紙しか取っていなかった政界関係者は、この一件でスポーツ紙の持つ宣伝効果を初めて認識したのだ。
ネットもSNSも普及していなかった30年以上も前の話だが、長嶋さんの存在感だけは時代を超えて別格だった。













