2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人♯27・長嶋監督の巻】
プロ野球をテレビの地上波ではなく、CSやネット中継で見ることが普通になってから、どれぐらいたつだろうか。
近年「プロ野球危機」が騒がれた最大の年といえば、いわゆる「Jリーグ元年」の1993年だったのではないか。
その年の巨人はもちろん、第2次長嶋政権の1年目。プロ野球人気の低下に強い危機感を持っていた長嶋監督は、番記者たちを巻き込んで連日のように話題を提供。結果、スポーツニュースのトップニュースや、スポーツ新聞の1面は長嶋巨人の話題がほぼ独占し、プロ野球人気は危機どころか、さらに上昇したように思う。
あれは長嶋監督の薄くなった頭を、かつらメーカーが狙っているという記事を書いたときのこと。激怒されてもおかしくない原稿だったと思うのだが、長嶋監督は得意の流し目で「また何か書いたのか? へっへっへ…」で終了。批判的な記事だろうが、野球人気のためなら「どんどん書いてください」というスタンスはいつも変わりなかった。
体格の良い人を見かければ突然、組みついて相撲を取る。一時期、番記者の間で相撲がブームになり、ズボンのベルトのことを「まわし」と呼んでいたこともあったっけ。
序盤に大量失点して試合に負けた次の日の朝、その試合を中継したNHKのディレクターに「んー、Oさん、昨日はみっともない試合をしてすみませんでした。視聴率悪かったんじゃないですか?」と謝罪したこともあった。
巨人は嫌いだけど長嶋さんは好き。オールドファンにそうした人たちが多いのも、長嶋監督を取材しているとよく分かった。
そんな長嶋さんに近い存在のような気がしているのが前監督の原さんだ。メディアを巻き込んでの「チーム原」づくりがうまく、強いチームを作った。「お前さんもチームジャイアンツの一員だろ! もっとウチが有利になるような記事を書いてくれよ」と、その言い方はあまりにも直接的だったけど…。














