2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人#24・川口和久の巻】
1994年、広島初めてのFA宣言選手として、巨人に移籍してきたのが川口さん。その後、96年のメークドラマの胴上げ投手になるなど、第2次長嶋巨人を支えたが、広島時代は「Gキラー」として、ずいぶんと苦しめられたものだった。
後年、FAにまつわる裏話などについて、じっくり聞かせてもらう機会があった。場所はジャイアンツ球場近くのご自宅の書斎。とても話上手でついつい時間のたつのを忘れてしまった。
プロ入り前はホストにスカウトされたこともあったそうで「お酒も女の人と話すのも好きだったから、プロ野球選手になっていなかったら、ホストになっていたかも…」なんて話まで教えてくれた。
FA移籍を悩んでいる時、ショックだったのは、広島のある人に「吐いたツバは飲めんけえの」と言われたことだったという。つまり「広島から出て行ったものは、二度と広島に戻ることはできない」ということ。最近では、新井貴浩が国内他球団にFA移籍した選手で初めて、広島に「出戻り」した選手となったが、当時の広島ではFAした選手の前例はなく「裏切り」は許されないことだったのだ。
もちろん川口さんも「14年間お世話になったカープを出て行くわけにはいかない」つもりだったが、奥様のお父さんがすい臓がんで倒れ「東京の実家で父の看病をしたい」という奥様の希望もあって、最終的には移籍を決断したという。
ただ、ひょんなことで川口さんは、広島以外の球団の人から「裏切り者」と呼ばれることになってしまった。
「最初に社会人時代にお世話になった西武の森さん(繁和投手コーチ=当時、写真を見る)から電話をもらってね。『ありがとうございます。西武に行かせてもらいます』って返事をしちゃったんだ。その後に長嶋さんから『モシモシ、川口クン? 明日、東京で待ってるよ~』って一方的な電話があって…。女房のお父さんが熱烈な巨人ファンというのもあって、なんだかんだで押し切られてしまった。森さんは許してくれたけど、あれ以来、頭が上がらなくてね…」
今でも川口さんは森さんと会うたびに「おい、裏切り者!」と呼ばれ続けているという。













