【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(40)】1993年のG1クライマックスを制した俺が次に対峙したのは、天龍源一郎だった。92年の6月にSWSが崩壊すると、天龍が率いていた「レボリューション」に所属した選手たちを中心に新団体「WAR」が旗揚げされて、同年の下半期から新日本プロレスは対抗戦を繰り広げるようになっていた。

 ただし、この対抗戦に対しては思うところがあった。このころになるとかねて提唱していた「部屋別制度」はトーンダウンしてしまっていたが、完全に諦めきれてはいなかった。そもそも、外の団体に頼らずに新日本プロレスの中で対抗戦の図式を提唱していた俺にとって、団体対抗という形式は気が進まなかった。もちろん、現場監督の長州力の意向もあったんだろうけど、複雑な気持ちだったね。

 天龍との初シングルマッチは93年9月26日大阪城ホール大会で実現し、グラウンドコブラツイストで勝利した。12月15日にWARの両国国技館大会で再戦し、その試合では俺が敗れた。

 天龍との試合ではいや応なしに、変な意識が働いていた気がする。やっぱり昔から「新日本プロレスVS全日本プロレス」という構図はファンたちの中にあって、その時の天龍はもうWARではあるんだけど、俺の中では「対全日本」というものがあった。だったらなおのこと対抗戦という形は燃えるんじゃないかと思われるんだろうけど、やはり当時の置かれた環境などもあって、どこか違った思いというか、気持ちのズレが俺の中にあったんだよね。

 最後の一騎打ちは96年4月29日の東京ドームだった。この試合で普段はやらないようなドラゴンロケット3連発を試みた。しかし、3発目を狙った際に、天龍が起き上がっているのは見えていたのにかかわらず、足が完全に動かず、ロープに顔面を打ちつけてしまった。さらに顔面にグーパンチを叩き込まれて、鼻骨が折れるアクシデントに見舞われた。

 大流血しながら戦い続けたものの、結果的には敗戦を喫し、試合後は病院に直行した。鼻の穴がふさがらないように棒を入れられると、つぶれた骨がバリバリバリってなってるのが聞こえて、気が飛ぶかと思うくらい痛かったのを覚えている。苦しいし痛いし、顔が腫れ上がって1週間外に出られなかった。

 とは言っても、3回やった試合の中では東京ドームの試合が一番印象に残っている。あのグーパンチに彼の意地を見たし、天龍はやっぱり勝負師だよね。独特の勝負勘とでも言うべきか、相手の気持ちを乗せてくれる、他の選手とはひと味違った部分があった。彼は2015年11月に65歳で引退したけど、現役でいる間は、常に意識し合える存在だった。