女子プロレス「センダイガールズ(仙女)」の〝女子プロ界の横綱〟こと里村明衣子(45)が、自身の引退記念興行(29日、東京・後楽園ホール)で30年間のプロレス人生に終止符を打った。15歳でデビュー後、日本だけでなく世界でも活躍し、長年業界をけん引。今後も団体の代表として業界を盛り上げていくことを約束した里村が次に目指すものとはーー。
デビュー30周年の節目で迎えた引退試合では愛海と組み、永遠の好敵手・アジャコング&ワールド王者・橋本千紘と対戦。激闘の末、里村がアジャにスコーピオライジングを決め、3カウントを奪った。
試合後にはアジャからの提案で、5分間の延長戦が実現。アジャとコンビを組み、仙女&マーベラスの後輩たちと2対5のハンディキャップマッチが急きょ行われ、熱戦を繰り広げた。試合後には「もっと頑張ったらいろんなチャンスがあるんじゃないかなって思いますけど、次のステージの方が長いので、切り替えたい。ケガのない状態でリングを下りられたことが、本当にありがたいです」と語った。
1995年4月15日にカリスマ・長与千種率いる「ガイア・ジャパン」旗揚げ戦(後楽園)でデビュー。2005年のガイア解散後、翌年に仙女を旗揚げし、エースとして軌道に乗せた里村は13年度の「プロレス大賞」で女子プロレス大賞の初受賞を果たした。さらにWWEからも実力と手腕が認められ、19年5月からはNXTの女子部門臨時コーチに就任し、21年1月にWWEと契約。世界中でその名をとどろかせた。
実は幼少期は女優になることを夢見ていたが、中学生時代に新日本プロレスを見たことで人生が一変した。「小さいころは『ママハハ・ブギ』(TBS系)が好きで、憧れは浅野温子さんでした。でも、姉の影響で3歳から柔道をやっていたので、自分の強さも生かしたいと漠然と思っていた時にプロレスに出合って、人生全てをささげてきた30年間。あっという間でしたね」と振り返った。
東日本大震災が起こった11年には、創設者の新崎人生から独立し、社長に就任。当時は8人いた選手が半分の4人に減り、スタッフが0人という苦しい時も経験した。「震災で興行ができなくなって、どうにもならなくなってしまったので、他団体に参戦したり、東京、大阪進出をしたけど、当時スタッフがいないから、電話の問い合わせ、クレーム対応、チケット販売まで全部自分でやっていた。一度、後楽園大会でチケットを委託ミスして80席ダブってしまったり。30代は失敗続きだったけど、そこで学んだから今がありますし、後輩たちにはそんな思いをさせないようにします」と振り返った。
今後は経営者として、プロレスに人生をささげていくことを決意。まずは新人育成も強化すべく、スカウト活動にも力を入れていく。「スーパースターを発掘して、女子プロレスの全盛期をもう一度つくることが目標なので、いい人材を探すために、日本だけではなくて世界各国、回りたいと思ってます。レスリング、柔道、ボクシングとかアスリートがいいですよね。阿部詩選手? あ、華があっていい選手ですよね」と笑った。
個人としても身体的な変化を遂げ、80歳まで仕事をし続けたいという。里村は「今までは橋本とか鈴木みのる選手とか、大きい選手と戦うために増量してた。今度は絞って超筋肉質の体を追求したいです。ボディビルダーは目指さないですけど、肉体改造をしたい。そして80歳になったらプロレス界のマダムと言われているような存在になりたいですね」。
女子プロ界の横綱が、これからも業界に旋風を巻き起こす。














