【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(7)】新日本プロレスの旗揚げを控え、山本小鉄さんとともに、アイデアを出し合った。スポーツの一番を目指すという意味から「キング・オブ・スポーツ」のフレーズが生まれると山本さんは虎のマークを提案してきた。俺が「百獣の王」であるライオンを挙げると、山本さんも賛成し、絵を描いた。これを元にプロのデザイナーに頼んで、赤と黄色で一番目立つようにデザインしてもらったのが、今も新日本の象徴となっているマークだ。

新日本プロレスのロゴ
新日本プロレスのロゴ

 猪木さんの奥さんである倍賞美津子さんだけでなく、姉の倍賞千恵子さんも宣伝カーのウグイスガールをやってくれたり、本当に家族ぐるみで新団体旗揚げの準備が進んだ。メキシコに行っていた北沢幹之さんと柴田勝久さんも合流して、6人の所属選手で新日本プロレスは初陣を迎えることになった。

 1972年3月6日、大田区体育館で行われた旗揚げ戦のオープニングマッチに出場したのがオレだった。ほかに若手はいないから、最初からエル・フリオッソというアルゼンチン出身の外国人選手とのシングルマッチだった。日本プロレス時代に多少はリングに慣れたつもりだったけど、新団体の一発目となるとワケが違うからやっぱり緊張はするよね。猪木さんが後援者に頭を下げる姿も見てたし、オレらも飛び込みでチケットを売ったりして、やっと迎えた大会だったわけだからプレッシャーだよ。

 デビューしてから猪木さんに声をかけられたことなんて1回もなかった。でも「気合入れていけよ」とハッパをかけられた。この日は試合前の練習から空気が違っていたよね。俺だけでなく、みんなそれぞれ顔色が違っていたと思う。

 フリオッソとの試合は敗れてしまったけど、その時に自分が出せるものは出せた。北沢さんには肩を叩かれたのを覚えている。この試合が自分にとって本当のデビュー戦だと言っても過言ではないと思っている。うれしかったね。日本プロレスを辞めてから、やっと自分の本来の居場所というか、もう一度リングに上がれたことに感慨もひとしおだった。

 この大会のメインイベントでは猪木さんがカール・ゴッチさんと対戦した。今も試合は目に焼き付いているし、プロレスの原点だと思っている。ただ、もちろん腹は決まっていたけど、猪木さんに「ついてきて良かったな」って思えたのは、まだまだ先の話だよ。最初は必死だもん。給料も出ない。山本さんがポケットマネーで「これで飯でも食っとけ」みたいな感じでくれたりね。

 その一方で古巣の日本プロレスも、猪木さんに続いてジャイアント馬場さんが抜けて崩壊していった。日本のプロレス界は、新しい時代に突入していったんだ。