【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(5)】デビュー戦は1971年5月9日、岐阜市民センターで行われた。相手は北沢幹之(当時のリングネームは新海弘勝)さんが務めてくれた。
とにかく緊張していて、リングに上がった瞬間から身震いするし、ゴングが鳴ったら頭が真っ白。夢見心地で、お客さんの顔もまともに見られない。もう必死に攻撃を受けるだけ。北沢さんも余裕を持ってオレに技をかけさせてくれるんだけど、すべてがぎこちなくなってしまうんだよね。レスラーとしてまだまだ未完成だったんだと思う。タックルに行っても、逆に吹っ飛ばされてしまうような感じだった。
唯一ドロップキックだけはやらせてもらったんだけど、後日写真で見たら攻撃してるんだか、やられてるんだか分からないような、手と脚がバラバラな不格好なものだったね。練習でできていたことができないのは、やっぱりリング上の独特な恐怖もあったんだと思う。当時の日本プロレスのリングは今の時代と違って殺伐としたものだったし、オレなんか震えて当然。そういう環境でデビューしているから、今でもリングに上がったら少なからず恐怖心というものを持っている。
初の試合は7分52秒、首固めで敗れた。北沢さんの手玉に取られて、自分で何をしたらいいか分からなかったから、とてつもなく長く感じた。今思えば手加減してくれていたんだろうけどね。北沢さんも猪木さんもだけど、私生活から何からオレのことを守ってくれていたと思う。他の選手から相撲用語で言うところの「かわいがり」とかを受けないように目を光らせてくれていた。だからだろうけど、他の選手から変に手を出されるとかはなかったよ。
デビュー後はなかなかシングルマッチを組んでもらえなかったけど、地方巡業で毎日のようにあるバトルロイヤルに出場していた。ところがデビューから7か月がたった12月13日に激震が走る。猪木さんが日本プロレスを追放されてしまった。
猪木さんの追放理由は「会社乗っ取りを企てた」こと。でもオレが聞いた限りの情報では、猪木さんはジャイアント馬場さんと一緒に会社を改革しようとしていた。2人は「寛ちゃん」「馬場さん」の仲。お風呂で背中を流している時に「今のやり方はおかしい」なんて話も聞いていた。
当時は日本プロレスの全盛期。興行の売り上げもすごい金額のはずだけどレスラーや社員の待遇には反映されず、あまり言いたくないんだけど上層部の不正もあったとウワサされていた。それを是正するために立ち上がったのが猪木さんだったんだけど、その内通を受けた上層部は馬場さんを囲ってしまった。猪木さんと馬場さんの関係も次第に険悪なものになっていったんだ。













