【達川光男 人生珍プレー好プレー(36)】投手と野手の信頼関係というのは簡単に築けるものではありません。人としての相性の良しあしとは別に、結果が伴わないことには首脳陣にも信頼してもらえませんからね。その点で、なかなかうまくいかなかったのが同学年の山根和夫です。

 レギュラーとなる1983年以前には組んでは打たれるの繰り返しで、契約更改の席でも「山根は水沼(四郎)と組んだ試合で防御率2点台なのに、おまえと組んだ日は5点台だ」と指摘されたこともあったほど。いつしか山根の登板日にはスタメンで使ってもらえなくなり、本拠地のときにはファームの試合に出るよう命じられることも珍しくありませんでした。「明日の先発は山根じゃけ、昼にウエスタンの試合に出ろ」ってなもんですよ。

 もちろん私としても面白くありません。当時は若くて元気もよかったので「どうせ夜はベンチで試合を見ているだけなんじゃけ」と寮の門限を破って外出したことがありました。そして夜ふけ過ぎに寮へ戻ったら、冷蔵庫に寮母さんの字で「達川くんへ 明日の二軍戦には出なくていいそうです」と張り紙がしてありましてね。

 翌日になって恐る恐る旧広島市民球場へ向かったら、総合コーチの田中尊さんが「タツ、今日はスタメンじゃ」と。門限破りがバレていたのか古葉竹識監督にはにらまれたような気がして、先に「すいません」と謝りましたよ。

 たぶん同じ年だったと思いますが、広島・福山でのオープン戦で山根と組んだ際に直球ばかりの組み立てで打たれて、試合後の移動時に福山駅のホームで「おまえと組むことはないな」と言われたことがあったんです。

 だから「悪いのう、今日はワシじゃ」と切り出したうえで「サインはどうする?」と尋ねると、山根は「今日はおまえに任せる。絶対に首は振らんけえ」と言ってくれましてね。「これでダメなら辞めるしかない」と覚悟して試合に臨んだことだけはハッキリと覚えています。辞めずに済んだということは、その試合には勝ったのでしょう。

 こんな経緯があったからこそ、山根は83年のキャンプ中に私が休日を利用して巨人の練習を“偵察”していたことを知って余計に「タツは勉強熱心だ」と思ってくれたのかもしれません。

 山根は短期決戦にめっぽう強く79年、80年、84年と出場した3度の日本シリーズで計9試合に先発して5勝1敗、防御率2・18。いずれもMVP級の働きでチームを3度の日本一に導きました。私が正捕手としてバッテリーを組んだ84年はレギュラーシーズンでも自己最多の16勝を挙げ、多かった負け数も8つだけ。同年の日本シリーズ第7戦では2失点完投で胴上げ投手となった山根に飛びついて喜びました。

 かつて一番合わなかった山根が、一番合う投手になるのだから不思議なものですよね。そういえば、山根とのバッテリーでは“男の危機”に直面したこともありました。