【達川光男 人生珍プレー好プレー(32)】入団2年目の1979年は前年の12試合から49試合と出場機会も増え、初めてリーグ優勝を経験することができました。残念ながら、近鉄との日本シリーズではベンチ入りするも出番なしだったんですけどね。
ただ、この頂上決戦では貴重な体験をさせてもらいました。今も語り継がれる名シーンで、山際淳司氏による短編ノンフィクション作品としても知られる「江夏の21球」から学んだことについて触れておきましょう。
「江夏の21球」とは、第7戦の4―3の9回裏に江夏さんが計21球を投じる中で数々のドラマが繰り広げられ、どの立場から見るかによって何通りもの解釈や楽しみ方ができる球史に残る名場面です。興味のある方はインターネットなどで調べてみてください。
あの21球の中で強烈な印象として残っているのが19球目です。一死満塁でカウント0ボール1ストライクから打席の石渡茂さんがスクイズを試みた際に、江夏さんが寸前でカーブを外角高めに外し、三本間に挟まれた三走の藤瀬史朗さんがアウトになった場面です。
このシーンを一つとっても、外したのは意図的だったのか偶然だったのかなど当事者の証言も食い違っています。ただ確かなのは、石渡さんが食らいつくようにバットを出した中で、外角高めに大きく外れた変化球を捕手の水沼四郎さんが立ち上がって正確に捕球したこと。江夏さんの言っていた「捕手で一番大事なのはキャッチング」ということを改めて実感させられた瞬間でもありました。
実際の試合において、サイン違いというのはよくあります。捕手が出した指の本数を見間違えたりしてね。それでも確実に捕球してこそ一人前。1年目だったか2年目だったか忘れましたけど、あるベテランに「あのう…カーブのサインだったんですが」と間違いを指摘して「おまえが勘違いしたんやろ。そもそも1球間違えたぐらいでバタバタするな!」と怒られたこともありました。これでは投手に信頼される捕手にはなれません。
79年オフはハワイへのV旅行にも参加させてもらって3年目の飛躍を期待されましたが、翌80年の一軍出場は9試合に激減。チームは球団初となるリーグ連覇を達成し、同じ顔合わせとなった近鉄との日本シリーズを制して2年連続の日本一となったのに私は“蚊帳の外”でした。
いくら捕手がキャリアの必要なポジションとはいえ、足りないことばかり。このままプロでやっていけるんだろうかと自信喪失気味になっていたときに、なにかと優しく声をかけてくれる大先輩がいました。65年に捕手としてプロ入りし、内野手に転向してからカープの中心打者になった衣笠祥雄さんです。











