【達川光男 人生珍プレー好プレー(33)】捕手というのは難しいポジションです。バッテリーを組む投手のことはもちろん、対戦する打者の特徴や各種データ、配球、インサイドワークなど覚えることも多く、一朝一夕にはいきません。特にリードには正解なんてありませんからね。

 考えに考え抜いてサインを出しても裏目に出ることはあるし、投手が要求通りに投げてくれるとも限らない。明らかに投手のコントロールミスが原因で打たれても、ミスするようなボールを要求した捕手が悪いと言われることだってあります。

 1977年のドラフト4位でカープに入団した私が開幕スタメンに名を連ね、正捕手と言われるようになったのは6年目の83年のこと。2年目の79年に49試合に出場しながら3年目は9試合の出場で先発マスクなしに終わるなど、いばらの道の連続でした。

 そんな中で「よく監督やコーチに叱られているけど、キャッチャーをやめちゃだめだぞ」と励ましてくれたのが衣笠祥雄さんです。京都・平安高(現龍谷大平安)時代には捕手として64年の春と夏に甲子園大会にも出場していますが、プロ1年目で内野手に転向。4年目の68年から不動の中心打者として山本浩二さんとともにカープをけん引されていました。
「なあタツ…なんで俺がキャッチャーをやめたか分かるか? 嫌になったんだよ。ピッチャーというのはわがままで、サイン通りに投げてこないやつも多いから」

 さらにキヌさんは、こう続けました。

「俺は生まれつき器用だからどこでも守れたし、打てた。でも、おまえは俺と違って不器用だろ。キャッチャー以外ではプロで生きていけない。だから、つらいことがあっても我慢するんだ。逃げるんじゃないぞ」

 図星でした。どう頑張ってもキヌさんやコージさんのような中心打者にはなれないし、ショートやセカンドで華麗な守備をするタイプでもない。捕手として生きていくしかない――そう気づかせてくれたのです。

 キヌさんは褒めて伸ばしてくれる人で「タツ、うまくなったな。ナイスリードだったぞ」なんて言われると、うれしくなったものです。よく食事にも誘っていただきました。ある年の春季キャンプ中に3日連続で宮崎・日南のすし屋に連れて行ってくださったことがありましてね。

 私には「なんでも好きなものを食べろ」と言いつつ、生ものを食べないキヌさんは厚焼き玉子をビールで流し込む。頃合いを見て大将に「いつもの」と頼むと、なぜか牛ステーキが出てきてね。大好きなお肉を前に、子供のように喜んでいた顔は今でも忘れられません。

「キヌさん、肉ばかりじゃのうて少しは野菜も食べたほうがええんじゃないですか」。そう私が指摘すると「これは牛の肉だぞ。牛は草を食べて生きてるんだから、野菜を食べているのと一緒なんだよ」と真顔でサンドウィッチマン・伊達みきおくんの「カロリーゼロ理論」みたいなことをおっしゃってね。皆さんがイメージしている通り、無邪気な方なんです。

 そんなキヌさんに一度だけ、きつく叱られたことがありました。7年目だったか、8年目だったか、レギュラーに定着したあとのことです。