【達川光男 人生珍プレー好プレー(28)】私の世代なら長嶋茂雄さん、王貞治さん、ちょっと前ならイチローや松井秀喜、最近なら大谷翔平にあこがれて野球を始めたという人は多いと思います。ただ、誰もがそうした超一流のスーパースターになれるわけではありません。

 県立広島商高の大先輩で、著書に「超二流のススメ。」がある三村敏之さんは、1978年の春季キャンプ中にプロ1年生の私に目指すべき方向性を示してくださいました。宿舎の自室で私のスイングを見て「なんでプロ野球に入ってきた」と指摘したあとに「ホームランは絶対に打てん。だったら監督からのサインを忠実にできるように」と。

 当時のカープを率いていたのは名将・古葉竹識監督。75年4月末に電撃辞任したルーツ監督からバトンを受ける形でチームを球団初のリーグ優勝に導き、中心選手となっていた山本浩二さん、衣笠祥雄さんを軸に常勝軍団をつくり上げようとしていた時期でした。私と同じポジションには水沼四郎さん、道原裕幸さんがいて、レギュラーになるためには2人の先輩捕手との競争に勝たなければいけない。そんな状況も踏まえて、三村さんはこうも言ってくださいました。

「水沼さんもミチもバッティングはたいしたことない。じゃが、2人は古葉さんのサイン通りに動ける。送りバント、スクイズ、右打ち、ヒットエンドラン…それぐらいはできるようにな。古葉さんは勝つことに執念を燃やす。監督より勝ちたい気持ちを前面に出すんじゃ。勝てる捕手になれば打てなくても試合には出られる」

 私が高校時代に県立広島商で迫田穆成(よしあき)監督から学んだのは「負けない野球」です。送りバントや右打ち、ヒットエンドランを絡めたカープの機動力野球は広商野球にも通じるものがあります。ただ「勝つ野球」「勝てる捕手」という逆の発想は目からうろこでした。

 最後に「2、3年、頑張ってみい」と背中を押してくれた三村さんにはその後も何かと声をかけていただき、オフに食事に誘っていただいたり、自宅に招かれたりもしました。あれは何年後だったですかね。一度だけ褒めていただいたことがあるんですよ。「野球に対して謙虚さや必死さがある。お調子もんかと思っていたが、ええとこあるのう」と。あのときは、うれしかったなあ。

 プロ1年目の春季キャンプは一軍で過ごしたものの、その後は二軍暮らし。広島市西区の三篠にあった三省寮で待っていたのは、カープに同期入団した超大物投手の“お世話”でした。