【達川光男 人生珍プレー好プレー(25)】私の野球人生では、しばしばコンタクトレンズに関する話題が出てきます。よく知られているのが、1990年8月28日の中日戦での1コマ。1―1の7回無死一塁で9番の投手・郭源治が送りバントをして、打球処理した私が一塁へ送球した際にコンタクトレンズが外れてしまったのです。左目から、ひら~っと落ちていく瞬間は今でも鮮明に覚えています。

 まずは投手の川口和久や一塁からチャージをかけていた長内孝に「動くな!」と言い、試合を止めました。買って3か月しかたっていない1個1万5000円のハードコンタクトレンズ。そんな事情を球審に伝えてグラウンドをまさぐり始めると、遊撃の野村謙二郎や二塁を守っていた正田耕三、ベンチにいたチームメートも本塁付近へ集まってきて、ナゴヤ球場を舞台にした“大捜索劇”の始まりです。

 私はグラウンドにヒザをついてナイター照明に反射するものがないか探し、審判団も目を凝らしてくれました。一塁側ベンチから星野仙一監督に「こらタツ、マジメにやらんか!」とドヤされましたが、明らかに目は笑っている。試合は4分にわたって中断し、結果的にコンタクトレンズは見つからず。ベンチで予備のコンタクトレンズをつけて試合は再開されました。

 このシーンは今でも語り草になっていますが、東洋大の4年生になって迎えた77年春の専修大との開幕戦で起きた“コンタクトレンズ事件”はシャレにならなかった。試合前に洗面所で片方を流してしまい、そのまま試合に出て痛恨のパスボールをしてしまったことは前回書きましたが、問題があったのはそのあとでした。

 私のふがいないプレーを気にかけたカープの木庭教スカウトが“追加取材”して、真相にたどり着いてしまったのです。木庭さんは地元出身の有望な捕手として県立広島商高時代から私のことを見続けてくれていて、あいさつも返さずにぶぜんとしていた様子に違和感を覚えたのでしょう。

 このときに声をかけられたのが、のちにJリーグの柏レイソルでGMも務めた2つ下の風間(現寺坂)利之で「達川さんは試合前にコンタクトレンズを水道に流してしまって…」とネタばらし。彼にしてみれば精彩を欠いたのは片方しかコンタクトレンズをしてなかったせいで、不可抗力だったとフォローしたつもりだったのでしょう。

 合宿所に戻るバスの中で風間から事のてん末を聞かされた私が「で、木庭さんは何か言うとったか?」と問いただすと「『あいつ、目が悪かったんか…』と、おっしゃっていました」。

 それからです。私に注目してくれていた全12球団のスカウトに変化が表れたのは…。