【達川光男 人生珍プレー好プレー(30)】プロ1年目の1978年7月7日、開幕から二軍暮らしが続いていた私に一軍からお声がかかりました。翌8日のナゴヤ球場での中日戦からベンチ入り。次カードの旧広島市民球場での阪神戦で一軍デビューの機会を得ました。

 11日の第1戦は先発の北別府学が打ち込まれ、3回途中6失点KO。5回を終えた時点で大量11点のリードを許し、負け試合だから新人の達川を使っておくか…となったのでしょう。でも、私には試合展開など関係ありません。8回表の守備から出場すると、必死にプレーしました。一死一塁で打席に立った掛布雅之に「頼むけえ、打たんとってくれ」とお願いしたりしながら。結果はあっさりと右前にはじき返されましたけど…。

 なんとか土居正史とのバッテリーで1イニングを無失点に抑え、裏の攻撃では二死走者なしで迎えたプロ初打席で池内豊さんからプロ初安打。打席では足が震え、腹に力が入らなくてどうなることかと思いましたが、2球見送ったところで落ち着きを取り戻して思い切り振ったらヒットになった。池内さんとは二軍でも対戦していて、相性も悪くなかったんです。

 寮に帰ると、すでに広島市内のマンションで家族と暮らしていた江夏豊さんから「おめでとう、良かったな」と祝福の電話をいただきました。球場で直接言うのは照れくさかったのでしょうね。でも、ほんまにうれしかったです。ちなみに同い年の大野豊と初バッテリーを組んだのも、この7月11日のことでした。9回の1イニングだけでしたけどね。

 そして翌日の同カードで初のスタメンマスク。先発の池谷公二郎さんをうまくリードできず、2回を終えて5―5と乱打戦になった中で、2番手の土居が7イニングのロングリリーフで無失点に抑えてくれて試合にも16―5で勝ちました。13日の第3戦では、松原明夫さん(のちに福士敬章と改名)とのバッテリーで完封勝ち。ルーキー捕手の奮闘ぶりはメディアにも大きく取り上げてもらいました。

 キャンプ中に三村敏之さんからも言われていたように、古葉竹識監督は「勝つことに執念を燃やす監督」です。初スタメンから2連勝したことで出場機会をいただけるようにもなりました。しかし、競った展開の試合終盤に江夏さんが出てくると、決まって“専属”で正捕手の水沼四郎さんと交代。ベンチからの信用や信頼を得るまでにはいたらなかったということです。

 スタメンを託されながらも途中で代打を送られたり、江夏さんの登場とともにベンチへ引っ込むパターンが5試合ほど続き、監督室に呼ばれて古葉監督から直々に「明日は若い2人で行く。思い切ってやれ」とハッパをかけられて臨んだ20日の甲子園球場での阪神戦では、先発では初の大野とのバッテリーで4回3失点。2人とも途中交代となってしまいました。

 球宴明け初戦となった28日の大洋戦まで9試合連続の先発出場を果たしましたが、私に吹いていた追い風もここまで。1年目は9度のスタメンを含む12試合の出場にとどまり、江夏さんとのバッテリーは2年目以降に持ち越しとなったのです。