【達川光男 人生珍プレー好プレー(37)】捕手というのは、なにかとケガすることの多いポジションです。ファウルチップがマスクに直撃しようものなら、むち打ちのような症状になったりもします。私の現役時代にはコリジョンルールもなく、完全にアウトのタイミングでも走者が当たり前のようにタックルしてきました。相手が体の大きな外国人選手だったりしたら、それこそ交通事故レベルの衝撃を受けます。

 サイン間違いやコントロールミスしたボールも体で止めなければならないし、ワンバウンドした変化球が下から股間を目がけて襲ってくることもある。最近では70歳の大台も見えてきた中で、体中に後遺症のような症状が出ています。捕球時に突き指した右手薬指は自由に動かせません。

 あらゆる痛みに耐えながら過ごした現役生活を通じて、私が最も脂汗を流したのは山根和夫とのバッテリーで臨んだ1983年7月10日に甲子園球場で行われた阪神戦でした。1―0の5回に先頭の吉竹春樹に二塁打を許し、二死後に真弓昭信さんを迎えた場面です。カウント1ボール2ストライクから宝刀フォークで空振り三振を狙いにいったところ、真弓さんがファウルチップ。その打球がワンバウンドして下から急所を襲ってきたのです。

 あまりの衝撃で、大事なところを守るためユニホームの下に装着するファウルカップがぱっくり割れたほど。呼吸さえままならず、あまりの激痛にのたうち回りました。ベンチからトレーナーや首脳陣が飛び出してきてくれましたが、気付け薬としてアンモニアを吸わされ、プレーは続行。山根には「もう、1球しか捕れん。三振を取ってくれ」と言ったものの、遠のく意識の中でサインすら出せない。それでも山根は最高のフォークで真弓さんを空振り三振に仕留めてくれました。我ながら、あの状況下でよく捕球できたと思います。

 この日はあるコーチのお母さまが亡くなられ、試合前に「今日は必ず勝ちます」と約束していました。心のどこかに「責任を果たしたい」という思いがあったのかもしれません。そのコーチには試合後、宿舎に戻ってから「今日はありがとう。これで、うまいものでも食ってくれ」とお小遣いをいただきました。監督賞やチームからの報奨金は珍しくありませんが、コーチから個人的に金一封が出たのは後にも先にもこの一度きりです。

 こうして振り返っていても、あの“股間捕球”には身の毛がよだつ思いになります。ビックリするほど腫れあがりましたからね。氷で冷やすしかないんですが、冷やすと痛みが増すんです。場所が場所だけに、男としての危機さえ感じました。その後に子宝には恵まれてホッとしましたよ。レギュラー捕手となった83年には、こんな痛い思いもしていたのです。