【達川光男 人生珍プレー好プレー(38)】入団6年目にして初めて開幕スタメンに起用された1983年はチームが大きく変わろうとしていた年でもありました。正捕手として79、80年の日本一を支えた水沼四郎さんが金銭トレードで中日に移籍されて私がレギュラーとなったのをはじめ、山本浩二さんの左翼コンバートに伴って山崎隆造と長嶋清幸が外野に定着。このうねりの中で頭角を現した投手が川口和久でした。
この年は結果的に自己最多の15勝を挙げるのですが、シーズン序盤はうまくいかずに苦労しました。開幕2戦目の先発に起用されながら、2回先頭から4連続四球と制球を乱して2失点KO。4月30日の阪神戦での完封を含めて2戦連続で好投したと思ったら3戦連続勝ち星なしの2連敗で、そのうち2試合は中盤までに降板を命じられるありさまでした。
私もついイライラしてしまいましてね。「なにしよんなら! 気合入れて投げろ」といった調子で厳しいことも言いました。そんなことを繰り返していたら怒られたんです。同学年の大野豊に。川口とは同じ左腕でライバル関係にあったのですが、見るに見かねたのでしょうね。「あんなに厳しく言ったら投げられんぞ」と。
川口から見れば私は4つ上。何を言われてもグッと我慢していたようです。大野の仲介で話し合いを持って「勝たせてやりたいから、つい厳しく言うてしもうたんじゃ」と私の思いを伝えると、川口も理解してくれたようです。
そうして迎えた5月22日の阪神戦でした。川口は「初回から3者連続三振でいきますよ」と軽口をたたいてからマウンドに臨み、公約通りとはならなかったものの先頭の北村照文と掛布雅之を三振に仕留めてね。ベンチに戻ると「先輩、今日はリードが冴えていますね」と言ってきたので2度ビックリですよ。こちらも「ほうか…ありがとさん」と笑顔で返しました。
投手も捕手も「勝ちたい」という思いは同じ。お互いストレスを抱えていては、いい結果が出るはずもありません。そうして2人で褒め合いながらイニングを重ね、終わってみたら9奪三振で4安打完封勝ち。最高の結果に導くことができました。
この完封勝ちから川口は7戦負けなしの6連勝を飾り、6月は延長12回完封を含む4完投で4勝無敗、防御率1.37という圧倒的な成績で初の月間MVPに輝きました。「ブタもおだてりゃ…」ってことなのでしょう。そういえば「私は川口さんのファンです」という女性からいただいたファンレターに「これからも“ブタ作戦”で勝ち星を重ねていってください」と書かれていたことがありましたよ。
パワーピッチャーの川口は同年9月3日の巨人戦で9回までではいまだにセ・リーグ記録の188球完投という“勲章”を持っているほど球数の多い投手でね。その後も私がイラついてマウンドに行くことはあったのですが、そうすると川口から「あれ、怒っちゃダメだと言ったの覚えていますか?」と、たしなめられたもんですよ。川口とのバッテリーでは、ちょっとした誤解から険悪なムードで試合に臨んだこともありました。世に言う「サイン拒否事件」です。












