ロッテは26日、佐々木朗希投手(22)と今季の契約で合意に達したことを発表した。12球団で唯一の契約未更改選手となっていた佐々木朗だが、これで自費での春季キャンプ参加は回避。ただ、ポスティングシステムによる来オフのMLB移籍を今後も球団側に強く訴え続けていくとみられ、火種はいまだにくすぶっている。ロッテOBで本紙評論家の前田幸長氏は、約30年前に古巣で起こった〝大騒動〟と対比し、猪突猛進の後輩右腕に「イメージが悪くなってしまうぞ」と警鐘を鳴らした。

【前田幸長 直球勝負】とりあえず、最悪の事態は回避したようだ。ロッテは佐々木朗との今季契約で合意に達したと発表した。これで契約未更改のままキャンプインを迎えるという流れは、土壇場で何とか免れた。だが、近日中に行われる予定の会見で、核心となるデリケートな部分に自ら触れることは恐らくないだろう。

 焦点となるのは言うまでもなく、佐々木朗本人が今も強く望んでいるとされる早期のMLB移籍だ。彼は今オフのポスティング移籍を直訴し、これが遠因となってロッテ側とギクシャクし始めたと聞く。昨年12月15日のポスティング申請期限が終了し、今オフの移籍は不可能になったが、それでも彼は来オフのメジャー挑戦を熱望し続けているそうだ。

 もちろん、佐々木朗が卓越した能力を誇り、日本球界を代表する投手であることは認める。ただ現状で言えば、早期、ましてや来オフのMLB移籍は「厳しい」と指摘せざるを得ない。所属球団と不穏な関係になったまま世間の同意も得られず海を渡れば、彼のイメージは地に落ちる危険性もあるからだ。

 思い出されるのは、かつてロッテに所属していたエース・伊良部秀輝さんが引き起こし、後にポスティングシステムを作り上げる発端となった〝大騒動〟だ。1996年オフにラブ(伊良部)さんはロッテのフロントと確執が生じ、中学時代からの夢であったヤンキースへの移籍を直訴。だが、当時のラブさんにはFA権がなく、保有権はロッテが持っていたため、話し合いは大きく難航した。当時のラブさんは2年連続の最優秀防御率と、3年連続で2桁勝利をマークしたロッテの大エース。球団側が簡単に放出を容認できるはずもなかった。

ロッテ時代の前田幸長氏(左)と伊良部秀輝さん(1989年)
ロッテ時代の前田幸長氏(左)と伊良部秀輝さん(1989年)

 それでもロッテはラブさんの強い熱意に動かされ、最終的に提携球団のパドレスと1対3の交換トレードをまとめ上げることに成功。ところがラブさんは代理人側とともにパドレスへの入団を拒否し、あくまでもヤンキースへの移籍を頑なに主張し続けた。

 日米の両球界を巻き込んでの大騒動に発展したが、最後はパドレスが事態の収束に乗り出す形で三角トレードを成立させ、ラブさんのヤンキース移籍が決定。モメにモメまくった末、97年5月に念願のピンストライプのユニホームを身にまとうことになったラブさんだったが、その強引な姿勢がアダとなってしまい、世間から猛反発を浴びた。

 ちなみに私は88年のドラフトで1位指名され、ロッテには95年オフに中日へトレード移籍するまで7年間お世話になった。入団時からラブさんにも公私ともども面倒を見てもらい、兄貴分のような人だっただけに当時の〝大騒動〟は移籍先の中日で複雑な思いを抱いていたことを記憶している。

 その当時のラブさんと今の佐々木朗の騒動は「MLB移籍」「球団との確執」という観点で照らし合わせてみれば、確かに共通項が多い。だが、決定的に違うのは、かつてのラブさんが9年間にわたってロッテに在籍し、後年はエースとして最多勝(94年)、最多奪三振(94、95年)など数々の個人タイトルを獲得しつつ、1年間ローテを守り抜いたことだ。ロッテをVにこそ導くことはできなかったが、誰もが認める貢献を果たしていたのは説明するまでもない。

 22年4月10日のオリックス戦で史上最年少(当時20歳5か月)となる完全試合の大偉業を成し遂げたとはいえ、プロ4年間で佐々木朗はまだ1度も年間ローテを守り抜いたことがない。今のまま我を貫けば、ラブさんよりも大きなバッシングを浴びる流れは避けられないだろう。

 どうしても来オフ、MLB移籍を実現させたいならば、とにかくチームをVに導くため今季フル稼働し、ロッテと世の中のファンを納得させるべきだ。天性の力を持つ彼ならば、それができると私は信じている。(本紙評論家)