【プロレス蔵出し写真館】今から23年前の2000年(平成12年)6月12日、全日本プロレスの事務所を覗くと、なにか違和感を感じた。ポッカリと空いたスペース。三沢光晴社長の机が撤去されていた(写真)。
東スポは前日発行の1面で三沢の全日退団を報じていた。「全日激震 三沢社長辞任 退団へ!!」「引退か新団体か 一両日中に結論」。衝撃的な見出しが躍った。
翌日の動向を取材するため事務所を訪れたが、この日は不気味な静けさを保っていた。
前年の1999年1月31日に創始者、ジャイアント馬場が死去して新社長に就任したのが三沢だった。
全日内部では三沢を推す声が多数を占めていたが、実質的オーナーだった馬場元子夫人は経営経験がないことを理由に「まだ早い。若すぎる(三沢は当時37歳)」と反対していたことが、後に明かされた。
三沢はこの年5月に社長になったものの、事あるごとに元子夫人は現場にも口を出し、三沢はそれが我慢できず2人の亀裂は決定的なものとなっていた。
00年5月28日、当初辞任と思われていたが、実は三沢は社長を解任されていた。机はこの直後に撤去されたのだろう。〝坊主憎けりゃ〟ではないが、前社長の机をそのまま使う気にはならなかったようだ。
結果、三沢は6月16日に会見を行いノア旗揚げを宣言。川田利明、渕正信を除く総勢26人が集結した。90年のSWS移籍とは比べようがない大量離脱に全日の存続はもはや〝これまでか〟と思われた。ところが、天龍源一郎が〝まさか〟の復帰。インディーの選手も参戦に名乗りを上げたことで最大のピンチを乗り切ったのだった。
さて、かつては、いわくつきのオーナーもいたが、今まで持ちこたえてきた全日がまた揺れている。
昨年12月31日付で大森隆男、ヨシ・タツ、木原文人リングアナが退団。1月31日付で石川修司とブラックめんそーれが離れる。
轟々の非難を浴びた福田剛紀社長のバカ殿の格好でのあいさつ動画は、背後にいるアドバイザーの入れ知恵だともささやかれる。
ファンや関係者から疑惑の目を向けられ、SNSで名前が散見されるのは元新日本プロレス社長で現WWE日本担当アドバイザーのサイモン・ケリー氏。そしてまさかの〝過激な仕掛け人〟と言われた新間寿氏。
全日OBは「このへんの人たちが入って来ると、いずれ食い潰されて、今のオーナーは続かないと思うね。お手上げになって、全日本を売り飛ばすんじゃないの? 売り飛ばすときになって、初めて全日本の看板の凄さがわかる。そうなると欲しいっていう人間が出てくるわけだから。あと2、3シリーズしたらそうなるんじゃないかと思うけどね。ただ、新間さんは関係ないよ」と語る。
そして「内部はひどいらしいよ。レスラーはみんな一生懸命まじめにやって『何とか』って思ってるけど、なにか意見を言うと煙たがられるみたい。石川にしても、辞めざるを得ない状況に会社が持っていった。だから引き留めもしないし…。木原にしても、そのポジションを新しい人に入れ替えたいから、辞めるように仕向けた。2人とも追い出された感じ」。
また「契約期間だからイエスマンになってるけど、レスラーはイエスマンで納まる人間ばかりじゃないんでね。『なにか違うことをやってほしい』ってクーデターじゃないけど、年内になにか起きるんじゃないですか?」
最後に、そう不気味な予想をしたが果たして(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













