【プロレス蔵出し写真館】今年も「プロレス大賞」受賞者の発表の時期がやって来た。来週15日にリモートによる選考会が開かれる。近年はコロナ禍のため、授賞式を行わず表彰のみとなっているが、昔は毎年1月4日(2004年度からは年内)に都内のホテルで盛大に授賞式、パーティーを行うのが恒例だった。

 写真は、がっちり握手をかわすMVPの初代タイガーマスク(佐山サトル)と新人賞の三沢光晴。今から39年前の83年(昭和58年)1月4日、東京プリンスホテルで行われた授賞パーティーでのひとコマ。

 タイガーはNWA世界ジュニアとWWFジュニアの2冠を制覇し、史上最年少記録の25歳でMVP(12年にオカダ・カズチカがタイ記録)を獲得。技能賞と合わせてダブル受賞だった。

 タイガーと写真に納まった三沢は、「そうそうたる人と並んで、あがってしまいました。顔が引きつってたでしょ? 今年は92キロの体重を何としても5キロ増やします。技に重みをつけたいです」と初々しいコメント。翌84年、まさか自分が2代目タイガーマスクに変身するとは夢にも思わなかったろう。

格闘技の祭典で対面した佐山と三沢タイガー(88年4月、両国国技館)
格闘技の祭典で対面した佐山と三沢タイガー(88年4月、両国国技館)

 2代目となった三沢が佐山と顔を合わせたのは、5年後の88年4月2日、両国国技館で開催された梶原一騎追悼記念試合「格闘技の祭典」だった。この時期、佐山はスーパータイガーと名乗り格闘技「シューティング(現・修斗)」の普及活動に励んでいた。この日は模範演技を披露していて、終了後リングに駆けつけた三沢に、「マスクに影響されずに、思いっ切りやればいい」とアドバイスを送った。

 そして、2人の初対決が実現(初代タイガー&ウルティモ・ドラゴンVS三沢&鈴木鼓太郎)したのは08年12月4日、リアルジャパンの後楽園ホール大会。リアルジャパンでスーパーライダーとしてプロレスでも活動していた佐山の弟子、掣圏真陰流興義館の渡部優一館長を通じ三沢に参戦オファーし、三沢が快諾した。渡部は三沢と足利工大付属高レスリング部で同期だった。

初代タイガーにエルボーを打ち込む三沢(08年12月、後楽園ホール)
初代タイガーにエルボーを打ち込む三沢(08年12月、後楽園ホール)

 試合は、ファーストコンタクトで佐山が三沢に強烈な張り手。三沢はエルボーで反撃し、白熱した。最後は三沢がドラゴンにエメラルドフロウジョンを決め決着した。三沢は「(実現が)今日になっちゃったのは悔いが残るところだけど、やれたことは良かった」と語り、佐山も「次はシングルでやりたいですね。僕がノアに乗り込んだっていい」と話していたが、翌年、三沢が帰らぬ人となりこの日の絡みが最後となった。

 ところで、プロレス大賞の常連だった三沢だが、受賞歴を振り返ると意外にもMVPを受賞したのは1回のみ。07年の45歳6か月での受賞は史上最年長記録だった(翌08年に武藤敬司が更新)。新人賞を皮切りに2代目タイガー時代を含めると、ベストバウト5回、最優秀タッグを3回、殊勲賞、敢闘賞、特別大賞を受賞したが、不思議とMVPには縁がなかった。

 過激な攻防を繰り広げた〝四天王プロレス〟でもMVPを獲れないことに、不満をあらわにしていた三沢は、授賞式を欠席する年が続いた。ノアの社長として00年の授賞式に顔を見せたのは、92年に受賞して来場して以来、実に8年ぶりのことだった。

「MVPじゃなきゃ授賞式に行かないよ」。そう意地を張り、ボイコットしていた三沢の姿が懐かしい(敬称略)。

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