プロレス評論家の門馬忠雄氏(85)が、11日に死去した木戸修さん(享年73)の知られざる素顔を明かした。

 門馬氏は1972年に故アントニオ猪木さんが旗揚げした新日本プロレスの巡業に約1年間、頻繁に同行。地方では木戸さんの部屋に宿泊した。

プロレス評論家の門馬忠雄氏
プロレス評論家の門馬忠雄氏

「坂口(征二)が合流する前の1年間でテレビ局がつかなくて、最も苦しかった時代。みんな、ケンカばかりやっててうるさくてね。でも木戸は誠実な人だから、いたずらされないな、と。2人部屋でね。いつもちゃんと整髪して寝ていた。私が原稿を書いて、そのへんに散らかすと『また散らかすんだから~。もう門馬さん入れないから』ってよく怒られたよ」と当時を振り返った。

 練習熱心で決して音を上げない木戸さんは、新日本にとって欠かせない人物だったと指摘する。「猪木、(山本)小鉄に続く第3の男として旗揚げに貢献したと思う。苦しい1年間を持ちこたえたのは、木戸の陰の努力なり、地道さがあったから」。人柄にも門馬氏は信頼を寄せていた。「うそをつかない。悪口を言わない。『俺が、俺が』の世界の中でね、彼が引退まで人と争ったことはない」。プロレス界では貴重な存在だった。

新日道場での有名な鏡割りシーン。左からユセフ・トルコ氏、猪木さん、木戸さん、山本小鉄さん、藤波辰巳(現辰爾=1972年1月)

 人間性を表す場面を、門馬氏は覚えている。木戸さんが祝いの場で、笑顔で祝杯を挙げる姿を見たことがないという。「猪木や坂口がタイトルを取って、乾杯という場面でも、彼はニコニコ笑顔で加わっていないんです。兄さんのことがあるからかな、と。あれも人柄だよ」。兄・時夫さんは日本プロレスに入門後、練習中の事故で脊椎を損傷。療養生活を余儀なくされた。志半ばでリングを離れた兄を思い、祝い酒を避けるほど、実直な人だった。

 引退後、メディアの取材に「門馬さんなら受けますよ」と指名され、自宅に取材に行くことが多々あった。「信頼してくれたんだと思う。個人的に濃密な時間を過ごしたレスラーでした。修ちゃん、昭和の列車の巡業の旅、どうもありがとう。楽しかったよな。よく頑張ったよ。寂しいよ」。いぶし銀と呼ばれた名レスラーをしのんだ。