極悪女王”ダンプ松本率いる極悪同盟の特攻隊長的存在だったのが、コンドル斉藤だ。

 1984年に全日本女子プロレスに入門。本名の斉藤真知子で同年7月21日の永堀一恵戦でデビュー。クラッシュギャルズと極悪同盟の抗争が激化して日本中に大ブームを巻き起こすと、85年から極悪同盟に加入。髪を金髪に染め上げ、リングネームをコンドル斉藤に改めて、特攻隊長役として活躍した。

 86年1月4日には永堀との王座決定戦を制して、全日本ジュニア選手権を奪取。翌5日にはWWWA世界タッグ王者だったクラッシュの長与千種が欠場したため、ブル中野と組んで山崎五紀、立野記代組との王座決定戦に出場。敗れはしたものの、2日間で一気に成長を証明した。

長与にグラウンドヘッドロックを決める斉藤。試合巧者だった
長与にグラウンドヘッドロックを決める斉藤。試合巧者だった

 その後も極悪同盟のメンバーとして順調に成長を遂げると、87年8月5日後楽園で若手だけの興行で同期の永堀とのタッグでメインを張り、堀田祐美子、鈴木美香組に敗れたが、実力を存分に発揮。同年10月11日のタッグリーグではブルとのコンビでクラッシュと同点で優勝戦を争い、準優勝を果たす。ブルのパワーファイトをアシストしつつ巧みな試合運びで、評価は高かった。

 そして9日後の10月20日には小倉由美、永堀の保持するWWWA世界タッグ王座に挑戦して勝利し、世界王座を初戴冠した。しかし堀田、西脇充子を挑戦者に迎えた翌年1月5日の初防衛戦は大荒れに荒れて、ノーコンテストに終わり、タイトルはコミッショナー預かりとなる。

 この時期から負傷が多くなったため、ブルはグリズリー岩本をパートナーに代えて、同年2月25日の王座決定戦で堀田、西脇組を撃破して王座を奪還。斉藤は2月28日に師匠のダンプのラストマッチでブルと組んで変則マッチで対戦。師匠の地元・熊谷で恩人を送り出した。しかし4月には肩の負傷に悩み、ドクターストップがかかって引退を決意。5月15日に同期の永堀とともに引退セレモニーを行った。

 現役時代から細かい心遣いのある人間と定評があり、ダンプのペイント描きも務めた。引退後はイラストレーターとして活躍し、デザイン会社も設立。飲食業にも進出して「第2の人生」でも成功を収めている。