1990年代中盤の女子プロ対抗戦ブームで全日本女子プロレスの中心選手としてフル回転し、その飛び技の華麗さと美しさ、ルックスから“飛翔天女”と呼ばれ、一時代を築いたのが豊田真奈美だ。
87年8月5日後楽園の中村幸子戦でデビュー。同年10月にはレスリング全日本選手権65キロ級で優勝を果たす。89年11月には全日本シングル選手権を獲得。90年代前半までは同期の山田敏代と何度も名勝負を展開して、お互いに評価を高めていった。90年10月にはバイソン木村からオールパシフィック王座を奪取。92年になるとIWA世界シングル、山田とのコンビでUWAタッグ、WWWA世界タッグとステージを上げていった。
豊田の特徴は抜群の跳躍力と身体能力の高さと体の柔らかさ、プロレスセンス、そして「ゾンビ」と呼ばれる抜群のタフネスさにあった。オリジナルのホールドも多くジャパニーズ・オーシャン・クイーンビー・ボム、ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスなどは、どうやったら思いついたのかと驚くほど複雑な複合技から投げ捨てる豪快かつ華麗な技で、軟体動物のようなブリッジは誰もマネできないものだった。加えてドロップキックの美しさは日本一と呼ばれた。
対抗戦ブームに火がつくと、最初の大一番となった93年4月2日横浜アリーナでメーンを務める(豊田、山田組対工藤めぐみ、コンバット豊田組)。その後もJWPの尾崎魔弓、福岡晶と激闘を展開した。
94年からはアジャ・コング、ダイナマイト関西、井上京子らとのシングル戦で名勝負を量産。8月には井上を撃破してIWA、オールパシフィック2冠に輝くと、95年3月にはアジャから悲願のWWWA世界シングル王座を奪取。井上、アジャと名勝負を展開し、9月武道館では北斗晶をシングルで撃破する殊勲を挙げ、12月両国ではJWPに流出した“赤いベルト”を関西から奪還した。
対抗戦ブームが終わっても2000年1月、02年2月にもWWWA世界シングル王座獲得(通算4回)。02年7月に全女を退団するとガイアに参戦し、10月にはAAAWシングル王座を奪取する。その後も各団体や米国でも活躍。17年に首と肩の故障が悪化して引退した。実に30年間、常にトップであり続け、体がボロボロになっても美しさを保ち続けた姿はまさに“飛翔天女”だった。













