女子プロレス対抗戦全盛期にJWPのエースとして圧倒的な強さを誇ったのがダイナマイト関西だ。

尾崎にスプラッシュマウンテンを見舞う関西。まさに必殺技だった
尾崎にスプラッシュマウンテンを見舞う関西。まさに必殺技だった

 1986年8月17日後楽園で旗揚げしたジャパン女子1期生としてデビュー。当時のリングネームは秋元康氏命名による「ミスA」だった。その後、ダイナマイト関西と改名し、92年のジャパン解散後は同年4月のJWP旗揚げ戦から参戦。173センチ、77キロの恵まれた体格と圧巻のパワーで、エースとして君臨した。

 92年12月にJWP認定無差別級王座が新設されるとキューティー鈴木との王座決定リーグ戦決勝を制し、初代王者に。93年3月にはデビル雅美とのコンビでJWP認定タッグ王座を獲得した。

 やがて93年から団体対抗戦が本格化すると、当時の女子では必殺技中の必殺技、スプラッシュマウンテンを武器に、当時最大団体だった全女のトップ選手と多くの激闘を展開した。94年8月武道館では堀田祐美子(全女)と組み北斗晶、アジャ・コング組の全女最強コンビと完全決着ルールで激突。スプラッシュ弾で北斗から3カウントを奪取している。

 94年11月には同門のデビルを驚異の新技「ダイハード関西」(雪崩式スプラッシュ弾)を披露してKO。95年6月にJWPが両国国技館に初進出した際は、復活したカリスマ・長与千種を撃破した。その後はアジャと激しい抗争を展開し、同年8月大阪ではアジャを撃破。他団体の選手では初めて全女の至宝・WWWA世界シングル王座を奪取する快挙を達成した。

 2000年にJWPを退団するとフリーを経て、06年には盟友・尾崎魔弓率いるOZアカデミーに参戦。大ベテランの域に入っても強さは衰えず、09年2月には尾崎からOZアカデミー認定無差別級王座を奪取した。

 16年3月には病気を理由に引退を表明。同年12月後楽園の引退興行で尾崎をスプラッシュ弾で沈めて現役を退いた。対抗戦時代に新興団体であるJWPを支えた「絶対的エース」として長く記憶に残る選手だった。