全日本女子プロレスで“女帝”の異名を取り、日本人として初めてWWF(現WWE)女子王者に輝くなど1980年代中盤から90年代までに黄金時代を築き上げたのがブル中野だ。
中学卒業後の83年に全女入門。同年9月にデビューし、新人王トーナメント優勝、翌年には全日本ジュニア王座を獲得するなど正統派として成長していった。しかし大きな転機が突然に訪れる。
85年当時、クラッシュギャルズとの抗争で日本中の憎悪を集めていた“極悪女王”ダンプ松本率いる極悪同盟に強制的に加入されたのだ。ダンプがブルの才能に目をつけた結果だった。同年2月には本名の中野恵子からブル中野に改名。髪をビジュアル系ロック風に染めてヌンチャクを振り回す凶悪ファイターに転身。極悪のクレーン・ユウが引退すると、ダンプの右腕としてクラッシュと激烈な抗争を展開した。
プロ意識の塊だったブルは、体重を100キロ超まで増やし、髪の毛をモヒカンにする。88年にダンプが一度引退すると、新ユニット「獄門党」を結成。グリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村らを配下に、ヒールながら全女のトップレスラーとなった。現WWEのアスカは“女帝”と呼ばれるが、最初に“女帝”と呼ばれたのはブルだった。
クラッシュやダンプが引退すると、ヒールやベビーといったジャンルを超越してブルは完全に団体の顔となる。90年1月には西脇充子との決定戦を制して“赤いベルト”WWWA世界シングル王座を獲得。1057日の同王座史上最長保持記録を樹立した。
後にアジャとは袂を分かつと、90年11月14日横浜での金網デスマッチで激突。金網最上段からダイブしたギロチンドロップは、いまだに伝説として残る。
92年11月にアジャに敗れて赤いベルトを失うと、93年から米WWFに遠征。アランドラ・ブレイズと抗争を繰り広げ、日本復帰後の94年7月東京体育館では神取忍とチェーンデスマッチで死闘を展開。同年11月20日全女東京ドーム大会では、ブレイズから日本人として初めてWWF世界女子王座を奪取した。
その後、96年から再び米国へ。まだ全盛期だった97年、左ヒザ靱帯切断で無念の引退となった。引退後は飲食業に進出し、約40キロの減量にも成功すると現役時代とは別人のような“美魔女”に大変身。自身のユーチューブや芸能界でも活躍中だ。













