【女子レスラー名鑑(全女、ガイア)】“史上最大のカリスマ”長与千種とのクラッシュギャルズで、1980年代に熱狂的な女子プロブームを巻き起こしたのがライオネス飛鳥だ。
63年7月、埼玉・蓮田市出身。高校を中退して80年5月に全日本女子プロレスでデビュー。いわゆる「80年組」では突出した存在で、デビュー3か月でメインに抜てきされ、82年7月には全日本選手権を獲得。何でも器用にこなす才能に恵まれていたが、やがて壁に当たる。そこで同じく伸び悩んでいた長与と83年8月にクラッシュギャルズを結成。打撃を中心としたファイトで、やがて爆発的人気を得た。
84年8月にWWWA世界タッグ王座を奪取。ダンプ松本率いる極悪同盟との抗争は日本全国を沸かせた。長与は後に「飛鳥がピッチャーで私がキャッチャー。やられてやられて飛鳥が助けに入るパターンが人気の要因になった」と明かし、飛鳥も「私は攻撃型で千種は受けのタイプ。奇跡的な組み合わせだった」と語っている。まさに驚異的な化学反応だった。
86年夏ごろから約2年間、スランプに陥るも、88年8月に長与からWWWAシングル王座を奪取して復活。89年5月に長与が引退後、飛鳥も同年8月に引退し、クラッシュの時代は終焉を迎えた。
しかし94年に復帰するとヒールとして各団体で大暴れ。95年にはWWF(現WWE)にも登場した。97年にはイーグル沢井、シャーク土屋との「平成裁恐猛毒GUREN隊」で暴れ回り、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」女子プロ大賞を獲得。同年7月には理不尽大王こと冬木弘道と日本初の男女シングルマッチにも挑んだ。ちなみにこの試合は邪道、外道、冬木の3人がかりのひきょうなスーパーパワーボムで敗れたが、隠れた名勝負だった。
98年12月からは長与のガイアに参戦。99年4月と9月には長与と2度にわたる死闘を展開。飛鳥はこの年、単独で2度目の女子プロレス大賞を獲得した。翌2000年5月には「クラッシュ2000」で長与と再合体。飛鳥の第2期黄金期でもあった。
その後も活躍を続けるが首の故障により、05年4月にガイアで2度目の引退。全国区的アイドルと最凶のヒール、いずれも実力を備えた2つの顔でトップを取った希代の名選手だった。(敬称略)













