全日本女子プロレスではクラッシュギャルズの1年後輩にあたり、WWF(現WWE)でも活躍したのが山崎五紀と立野記代のJBエンジェルスだ。
ともに1981年デビューながら当初は違う道を歩んだ。山崎はデビル雅美率いる「ブラック・デビル」のメンバーとして凶悪ファイトを展開。アイドル的なルックスを誇った立野は、正統派としてデビュー2年目で長与千種の保持する全日本ジュニア王座を奪取している。
2人にとって転機が訪れたのは84年のブラック・デビル解散後。元々ルックスに恵まれていた山崎は正統派に転向。立野と「ジャンピング・ボム・エンジェルス」を結成。次代のクラッシュ的な存在として、ダンプ松本率いる極悪同盟とも抗争を展開。86年1月には長与の負傷でクラッシュが返上したWWWA世界タッグ王座決定戦で、ブル中野、コンドル斉藤組を撃破して初戴冠を果たすとJBエンジェルスに改名した。
結局、クラッシュが復活すると王座を奪われるも美女コンビとして「ポスト・クラッシュ」の座を確立。アイドルとしても3枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした。
86年6月には来日していたWWFの幹部の目に留まり、10月から渡米を果たし、全米をサーキットして悪役のグラマー・ガールズ(レイラニ・カイ、ジュディ・マーチン組)のライバルとして抗争を展開。88年1月の「ロイヤルランブル」でグラマー・ガールズから日本人として初めてWWF世界女子タッグ王座を奪取した。
メインを務めることもあり、総本山であるニューヨークのMS・G出場も経験してWWFの女子トップスターとなったが、帰国後の89年5月に山崎が引退したためチームは解散。立野も91年に引退した。その後、山崎はジャパン女子で復帰するも91年12月に引退、結婚してニューヨークに移住した。立野は92年にLLPWで復帰すると、実に2010年10月まで現役を続け「30周年記念大会」で引退した。
「世界に通用するタッグチーム」として先駆者的存在だったJBエンジェルスは、女子プロ史上でも輝かしい存在だった。













