全日本女子プロレスの初期を支えた絶対的スター。マッハ文朱が全国的ブームを呼ぶ直前に全女人気の基礎を築いた功労者だ。
1954年1月6日、岩手・盛岡市出身。中学を卒業後に入門。70年3月にデビュー。ちょうど団体はスター不足と世代交代の時期にさしかかっており、ビジュアル的にも突出していた赤城を全面的に売り出した。
小柄ながら白いコスチュームを身にまとい、運動神経の良さと卓越したプロレスセンスを発揮して、フライングボディーアタックやダイビングボディーアタックなどの空中技を駆使。アントニオ猪木をほうふつとさせるコブラツイスト、卍固めなどのストロングスタイルでも強さを発揮した。
72年10月にはジャンボ宮本とのコンビでWWWA世界タッグ王座を奪取。宮本とは同王座を実に6回も戴冠。その後も4人のパートナーとタッグ王座を獲得する活躍を見せた。
73年から日本テレビ系の人気深夜番組「11PM」が約3か月に1度のペースで全女の試合を録画中継するようになると、看板選手として一気に深夜の人気スターとなった。75年11月からはフジテレビ系が土曜夕方枠で月2回のペースでテレビ中継を開始。マッハ文朱の登場も重なり、女子プロレスブームの兆しが見えてくる。76年3月にはジャンボ宮本からWWWA世界シングル王座を獲得。名実ともに頂点に立った。
その後、ビューティ・ペアの台頭と同じ時期に最前線から退くと、一転して覆面のヒールに転向。シルバー・サタンとの悪役覆面コンビで若手の壁となり、79年7月に引退した。
赤城の後を受けてマッハ、ビューティ・ペアらスター選手が立て続けに時代の変遷とともに活躍したこともあって、77年6月からはフジテレビが30分の日曜昼の単発番組を放送すると、13%超えの高視聴率を記録。これを受けて同年7月から金曜夜7時からの30分枠レギュラー番組が始まった。
赤城は引退後、テレビ解説者も務めて、最後まで全女の発展に尽力を続けた。本当の意味で、初期全日本女子プロレスにとっての貢献者だった。 (敬称略)













