ビューティ・ペアの時代から、クラッシュギャルズが台頭するまでの間“元祖アイドルレスラー”として全日本女子プロレスを支えたのがミミ萩原だ。

ブレーク前の長与(左)と飛鳥(右)に肩車されて入場
ブレーク前の長与(左)と飛鳥(右)に肩車されて入場

 レスラーが歌手になるパターンとは逆で、ミミの場合は芸能界からプロレス入りした異色派。祖父はフランス系スイス人で、15歳までスイスに在住した帰国子女で抜群のルックスを誇った。1972年から芸能活動を始めて73年には「ミミ」の芸名で歌手デビューも果たし、ドラマなどで活躍した。

 ところが78年に突然プロレス転向を宣言。子供のころから格闘技が好きだったというが、この転身は大きな話題を呼んだ。78年2月大阪の横田利美(現ジャガー横田)戦でデビューするも、連戦連敗で87連敗という不名誉な記録をマークする。しかし80年から肉体改造に着手すると、一気に潜在能力が目覚め、81年2月横浜では池下ユミからオールパシフィック王座を奪取。同年11月には大森ゆかりとのコンビでWWWA世界タッグ王座も獲得し、人気先行型から実力派へ転向を開始する。

 時代も後押しした。79年2月にビューティ・ペアが解散してマキ上田が引退。81年にはジャッキー佐藤も引退し、団体は世代交代の節目にあったのだ。ちょうどアイドル不在の時期とあって、会社側もセクシー路線で猛プッシュ。ミミ、ジャガー、デビル雅美の3本柱で団体を支えた。

 やられっぷりのよさに加え、防戦一方の状態から一瞬の押さえ込みや十八番のミミ・スペシャル(変型バックドロップ)などでワンチャンスをモノにするスリリングな展開は男性ファンをトリコにした。

 81年9月にはミミ萩原名義のデビュー曲「スタンド・アップ」を発表して、82年には女子レスラーとして初のヌード写真集を発表。大きな話題を呼び、ビューティ・ペアのリング上で歌を歌うスタイルを継承する。やがてこのスタイルはクラッシュに受け継がれた。

 偶然の産物か、時代の運命か、クラッシュの台頭と同時に84年4月1日、後楽園のタランチェラ戦で引退。ビューティからクラッシュの間という難しい時代で大輪の花を咲かせ、引退後は再び芸能界で活躍した。(敬称略)