クラッシュギャルズやダンプ松本と同じ全日本女子プロレスの「昭和55年組」の同期で最も出世が早かったのが“女力道山”と呼ばれた大森ゆかりだ。

 1961年12月21日、北海道・札幌市出身。幼少期から柔道やちびっ子相撲に親しみ、強靱な肉体の基礎を作り上げた。

 80年8月8日、田園コロシアムの長与千種戦でデビューして勝利を収める。ここからの出世は早く、同年の新人王決定トーナメントで準優勝を果たした。

飛鳥にコブラツイストを決める大森
飛鳥にコブラツイストを決める大森

 デビュー2年目の81年11月9日、沖縄で当時大人気を誇ったミミ萩原の指名によりタッグパートナーに抜てきされ、WWWA世界タッグ王座を獲得する。同期では最も早い世界王座奪取だった。ミミが引退すると、83年にはジャンボ堀と「ダイナマイト・ギャルズ」を結成。83年6月17日、旭川ではデビル雅美、タランチェラ組から再びWWWA世界タッグ王座を奪取した。

 その後、クラッシュギャルズとは3度のWWWA世界タッグ戦でハイレベルの名勝負を展開。ダンプ松本率いる極悪同盟の凶暴ファイトとは正反対の正統スタイルで、クラッシュ人気爆発の立役者にもなった。

 しかし85年12月に堀が引退後はシングル選手としての道を歩むも、ヒザを負傷。欠場中には空手の指導を受けて「空手チョップ」「ケサ斬り」チョップを習得。この技を代名詞に端正なマスクながら「女力道山」と呼ばれた。86年8月23日、川崎ではデビル雅美から悲願のWWWA世界シングル王座を奪取する。

 88年2月25日、川崎で同期のダンプと同時に引退。このコンビでクラッシュとの引退試合に臨むも、全員場外でダウンする結果の末、ノーコンテストに。急きょ5分間のエキシビションとして大森、ライオネス飛鳥組対長与、ダンプ組という豪華な同期対決が実現してファンを熱狂させた。

 引退後はダンプとの「桃色豚隊(ピンクトントン)」でCDデビューを果たし、芸能活動を始める。釣り好きの大森はテレビ東京系「釣り・ロマンを求めて」でレギュラーとなり、人気を集めて大森ブランドの仕掛けも全国の釣り具店で販売された。現在は静岡で主婦として平穏な日々を送る。 (敬称略)