美形のヒールレスラーとして男性ファンの人気を集めたのが、アジャ・コングらのスター選手を輩出した「61年組」のバイソン木村だ。

アジャ(右)とのコンビでWWWA世界タッグ王座にも君臨した
アジャ(右)とのコンビでWWWA世界タッグ王座にも君臨した

 1985年に高校を卒業した後にOLを半年間経験し、全日本女子プロレスに入門。170センチ、75キロの恵まれた体格と端正なマスクで他のヒールとは一線を画した。86年9月にデビューすると“最凶女王”ダンプ松本率いる「極悪同盟」に加入。ダンプが引退すると、ブル中野率いる「獄門党」に参加。中心メンバーとして活躍しつつ、高校の1年先輩であるグリズリー岩本と「アウトサイダース」を結成。タッグ戦線でも活躍した。袈裟斬りチョップやムーンサルトプレスを得意とし、沖縄の武術用具・トンファーを武器に暴れ回った。ユニバーサルなど男子団体にも参戦し、男性ファンの人気は高かった。

 その後、90年にバイソンとアジャはブルに反旗を翻して「ジャングル・ジャック」を結成すると同期の神谷美織、高橋美華らと合流。91年1月川崎市体育館では元「獄門党」同士で髪切りマッチが敢行され大きな話題を呼んだ。バイソンはアジャと組んでブル、井上京子組と激突するも、バイソンがフォールを奪われ、2人とも丸刈りにされる。この時、バリカンを入れられ、涙ぐむバイソンに、アジャが叫んだ「泣くな!バイソン」という言葉は女子プロの歴史に残る名セリフとされている。

 90年12月にはアジャとのコンビでWWWA世界タッグ王座を初めて獲得するも、前述の髪切りマッチで敗れて返上。92年1月、北斗晶、堀田祐美子組との空位王座決定戦を制して再度、ベルトを巻いた。91年10月にはみなみ鈴香からオールパシフィック王座を奪取して初のシングル王者となった。しかし92年の「ジャパングランプリ」で負傷、長期欠場の後に同年11月26日川崎で引退した。団体対抗戦の幕開けとなった大会だけに、実に残念な引退だった。

 その後、95年12月に復帰して吉本興業プロレスJd'の旗揚げに参戦するも数年の活躍を経て再度引退する。ケガさえなければ団体対抗戦ブームでトップスターになれる逸材だった。