ビューティ・ペア全盛期に全日本女子プロレスが次なるスターにと期待をかけて結成されたのが、トミー青山とルーシー加山のクイーン・エンジェルスだ。当時では珍しいメキシコ仕込みのルチャ殺法で女子プロレスに新風を送り込んだ。

角度の高いフライングネックブリーカーを決める加山(左)
角度の高いフライングネックブリーカーを決める加山(左)

 いずれも1977年入門。青山(本名・冨高千賀子)は中京大学で陸上五種競技の選手だったが、大学を中退して全女に入門。身長170センチ(公称)の恵まれた体格と抜群の運動神経を誇った。

 同期の加山(本名・漆原幸恵)は全女が開催した第1回オーディションで2000人の応募者の中からトップで合格。卓越したプロレスセンスに恵まれていた。同期には後のジャガー横田がいた。2人とも本名で同年にデビュー。加山は池下ユミのパートナーに抜てきされ、2代目ブラック・ペアのメンバーとしてヒールで活躍。それぞれ別の道を歩んだ。

 大きな転機となったのは2年目。2人は海外遠征に抜てきされ、全女選手では初めてメキシコに遠征する。新たにリングネームをトミー青山&ルーシー加山として「クイーン・エンジェルス」が誕生した。

 メキシコでは約半年間、空中殺法やルチャのテクニックを学んだ。当時は新日本プロレスの初代タイガーマスク・佐山聡もメキシコ修行中だった。2人は78年8月9日、日本武道館の全女10周年記念大会に凱旋帰国を果たすと、ナンシー久美、ビクトリア富士美組のゴールデン・ペアを破り、いきなりWWWA世界タッグ王座を獲得して一気にトップチームとなった。

 青山は79年9月にレイラニ・カイを下しハワイアンパシフィック王座(後のオールパシフィック王座)を獲得。シングル選手としてもジャッキー佐藤に次ぐナンバー2に。2人はレコードデビューも果たし人気を集めたが、ビューティほどの旋風は起こせず、80年8月には青山が右ヒザ負傷のため引退。チームはわずか2年で解散。81年4月には加山も引退した。

 それでもメキシコ仕込みのルチャ殺法は玄人好みのハイレベルなもので、時代が早過ぎたのかもしれない。活動期間は短いが記憶に残るコンビだった。(敬称略)