1960年代から80年代の全日本女子プロレスには多くの外国人選手が来日し、リングを盛り上げた。中でもビューティ・ペア(マキ上田、ジャッキー佐藤)が解散した後の全女マットで大暴れして“最強外国人”と呼ばれたのが“怪物”モンスター・リッパーだ。

驚異のパワーで立野を軽々とリフトアップする
驚異のパワーで立野を軽々とリフトアップする

 カナダ・カルガリー出身で地元のスタンピード・レスリングで幼少時からプロレスラーを目指していたが、当時の松永高司会長が、写真1枚を見ただけで170センチ、120キロという超ド級の肉体に目をつけてスカウトしたという。モンスター・リッパーのリングネームで79年1月に全女デビュー。何とマミ熊野と組んでビューティ・ペアに圧勝する快挙を演じた。結局、ビューティは同年2月に解散している。

 怪物の快進撃は止まらず、同年7月31日にはジャッキーから全女の象徴であるWWWAシングル王座を獲得。ジャッキーとは同王座を巡って、何度も激闘を展開した。同時にメキシコでもラ・モンステルのリングネームで活躍。日本ではジャガー横田の時代に移行すると、横田のWWWAシングル王座に挑戦して名勝負を展開した。

 まさに“不沈艦”スタン・ハンセンを女子選手にしたようなブルファイターで、80年代にはデビル雅美とのチェーンデスマッチ、ブル中野との金網デスマッチなど壮絶なファイトを敢行した。87年12月にはカルガリーで初代IWA世界女子王座に君臨。翌年9月には同じくカルガリーで長与千種に敗れて王座から転落した。一時はジャパン女子に参戦したが、91年からは全女に戻りブルやアジャ・コングらと抗争を展開した。

 息の長い選手で95年にはバーサ・フェイのリングネームでWWF(現WWE)にも参戦。ヒールとして活躍して95年8月にはアランドラ・ブレイズからWWF女子王座を獲得。その後はWCWでも活躍した。「日本で育って米国で大物になった選手」の典型だったが、惜しくも2001年に40歳の若さで亡くなった。外国人選手で唯一、日本の女子プロレス殿堂入りも果たしており、昭和のファンには忘れられない外国人選手だった。(敬称略)