“邪道姫”の異名を取り、大仁田厚率いるFMWの全盛期の女子を支えたのが工藤めぐみだ。
1986年に16歳で全日本女子プロレスに入門。同年8月8日の前田薫(後のKAORU)戦でデビュー。同期にはアジャ・コング、バイソン木村ら強力なファイターが揃っていた。88年4月に突然、引退。社会人を経て90年3月の旗揚げしたばかりのFMW後楽園大会に豊田記代(後のコンバット豊田)、天田麗文との「アウトブレーカーズ」として乱入。まだキャリア不足だった女子正規軍の大きな壁となった。
当初はヒールだったが抜群のルックスで男子レスラーをしのぐ人気を獲得。大仁田に次ぐ看板レスラーとなった。その名前をマット史に刻んだのは、盟友だった豊田の引退試合(96年5月5日、川崎球場)での有刺鉄線電流爆破マッチだ。女子の有刺鉄線マッチは日本初。爆破の規模と同時に衝撃は大きかった。工藤はこの一戦を機に「邪道姫」の看板を得ることになる。
盟友の豊田引退後はシャーク土屋率いる「猛毒隊」の標的となり、有刺鉄線マッチなどで血まみれにされるも、その悲壮な姿が逆にファンの共感を呼んだ。三沢光晴の入り方を参考にしたという、タイガードライバーの名手でもあった。
また空前の対抗戦ブームの本格的な幕開けとなった93年4月2日、横浜アリーナでは豊田とのコンビで全女の豊田真奈美、山田敏代組と対戦。大会のメインを務めている。
邪道姫のレスラー人生最大のハイライトは、やはり97年4月29日、横浜アリーナでのシャーク土屋との引退試合、電流爆破マッチだろう。ビッグファイヤーを浴びた上に大爆破に巻き込まれた工藤は、勝利の末に救急車で病院に運ばれ、壮絶なプロレス人生を終えた。
引退後はタレント業などをこなしつつ2015年には「超花火プロレス」エグゼクティブプロデューサーに就任し、20年にはゼロワンのGMに就任。陰からプロレス界を支えている。













