恵まれた体格と卓越したルックスで1990年代の全日本女子プロレスで「次代のエース」と期待されたのが長谷川咲恵だ。
幼少時から空手を学んで、強豪校の栃木・宇都宮女子商業高校(現・宇都宮文星女子高校)空手部では、インターハイ団体戦優勝、全国選抜大会団体戦優勝、個人戦第3位の実績を残し、1989年に全女に入門。同年12月7日静岡の対吉永恵理子戦でデビューした。
170センチ、70キロの体格と空手をバックボーンとしたファイトスタイルで早くから「エース候補」と期待され、男性ファンの支持も大きかった。長い脚をフル回転させるローリングソバットは鮮やかで、裏投げの名手でもあった。
一時はブル中野率いる「獄門党」に所属するも、その後に正統派へ転向。92年1月にはデビー・マレンコとの日米新世代コンビを結成して新たな境地を開拓した。1月には全日本タッグ王座を奪取。7月には吉田万里子から全日本シングル王座を奪取して、マレンコとのコンビではメキシコにも遠征した。93年に団体対抗戦がヒートアップすると、同期であるJWPの福岡晶と何度も好勝負を展開し、対抗戦の名物カードにもなった。同年4月には伊藤薫をパートナーに代え、再び全日本タッグ王座を奪取。LLPW勢との防衛戦で好勝負を展開した。
94年からはメイン級の選手との対戦が増え、ブル中野、アジャ・コング、北斗晶らとの対戦で健闘するもなかなか壁は崩せなかった。同年11月20日の東京ドーム大会では人気漫画の覆面レスラー、ブリザードYukiにも変身している。
翌年には豊田真奈美率いるフリーダム・フォースに加入。ブリザードYukiとして豊田とWWWA世界タッグ王座にも挑むなど、トップ勢との対戦は一気に増加したが、ケガのため同年12月に引退を表明。トップ勢との「シングルカウントダウン七番勝負」を経て、96年3月31日横浜アリーナ(長谷川、伊藤薫組対渡辺智子、長嶋美智子組)で6年間の短い現役生活にピリオドを打った。
その後はアルシオンの広報になるなどプロレス界に貢献。トップは取れなかったがファンの支持を得た逸材だった。













