全日本女子プロレスに来日した外国人選手では、最も米国で実績を残した女子スーパースターが、メドゥーサことアランドラ・ブレイズである。
1964年2月9日、イタリア出身。身長177センチ、68キロの均整が取れたボディーとモデルのような美しい顔立ち、セクシーなコスチュームでわずか2年間ほどの在籍だったが、外国人選手としては異例のイメージビデオや写真集も発売した。
高校卒業後の84年に米AWA圏でデビュー。シェリー・マーテルとの抗争を経て、87年12月にはAWA女子王者となった。その後もAWAで活躍して89年1月に全女へ初来日。初戦で長与千種の持つIWA世界女子王座に挑戦。死闘の末、王座奪取の快挙を達成した。
クラッシュとは因縁が深く長与の引退試合(同年5月6日横浜アリーナ)ではライオネス飛鳥と世界統一グローバル王座を争ったが、惜しくも敗れている。レフェリーはメドゥーサの師匠である元AWA世界ヘビー級王者のニック・ボックウィンクルが務める豪華さだった。アジャ・コング率いるヒール軍団、ジャングル・ジャックの一員として活躍した時期もあった。
91年に米国に戻るとWCWに参戦。ヒール軍団のデンジャラス・アライアンスと共闘。93年にWWF(現WWE)へ移籍するとアランドラ・ブレイズに名前を変え、同年12月には空位の王座決定戦を制し、WWF世界女子王者となった。
日本でのクライマックスは対抗戦ブームの最高峰となった94年11月20日の東京ドーム大会。ブル中野の挑戦を受けるも完敗。ブルに日本人初のWWF王者の勲章を献上した。全女側にとっては歴史に残る快挙だった。米国でも中野と抗争を展開し、95年4月にニューヨークで王座奪還に成功している。
しかし同年12月に王座を保持したまま再度WCWへ移籍。米国遠征した北斗晶との抗争も展開し、99年12月には女子として初めてWCWクルーザー級王座のベルトを獲得した。2001年に引退するとモータースポーツに転向。15年3月にはWWE殿堂入りを果たしている。













