【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(29)】 ヤクルト2年目の1997年は、いろんな意味で最高の一年となりました。チームは2位横浜に11ゲーム差をつけ、ブッチギリで2年ぶりにリーグ制覇。開幕から先発枠の一角を担った僕は、個人タイトルにこそ届きませんでしたが、リーグ2位の15勝(5敗)、同3位の防御率2・96、同2位の勝率7割5分と、あらゆる部門でキャリアハイを更新しました。
好成績を残せた要因はいくつかあります。前年に初の2桁勝利となる12勝を挙げて自信をつかんだことも一つでしょう。一方で12敗した反省から足りない点、改善すべき点は何かを考え、リーグワースト3位の被本塁打数(22本)を減らすことに取り組みました。
97年は28歳のシーズンで、劇的に球速を上げるのは無理があります。となれば、できるのは低めの制球力アップ。分かりやすく言い換えるなら、正捕手・古田敦也さんの要求通り投げられるように心がけたのが良かったのだと思います。以前にも書いたように、サインに首を振って自分の意志を貫いてもロクなことがなかったので…。
象徴的に成果が表れたのは、巨人・松井秀喜との勝負でしょう。96年は8打数3安打2本塁打で5打点、被打率3割7分5厘だったのに対し、97年は14打数2安打1本塁打で2打点、被打率1割4分3厘と大きく改善されました。
前年のミーティングでも「アウトローはまず打ってこない」ということはスコアラーから言われていました。しかし、分かっていてもそこへ投げ切れず、苦し紛れに投げたインコースへのボールが浮いたり甘く入って痛い目に遭わされてきました。狙い通りのコースで簡単に追い込めるようになったのはメンタル面で余裕ができたことも多分にあると思います。
ついでに言うと、試合前の打撃練習を意識的に見ないようにしたのも96年と97年の大きな違いの一つです。いくら打ちやすいところに投げた打撃投手のボールとはいえ、ポンポンとスタンドに運ぶシーンを目の当たりにしたら、戦う前から圧倒されてしまいますからね。
しかしながら、少しでも投げミスをしたら見逃してくれないのが松井です。97年の1本塁打は7月20日の対戦(神宮)で浴びたもので、カウント1―1から投げたフォークが少しだけ浮いてしまい、体勢を崩しながら右手一本でバックスクリーンまで運ばれました。まさにゴジラです。
96年は対巨人という点でも7本塁打を献上しましたが、97年は3本と半減。対戦成績も3勝1敗で、黒星を喫したのは松井に特大弾を許した7月20日の試合だけでした。ちなみに97年は吉井理人さんも対松井は16打数2安打で本塁打、打点ともに0と仕事をさせず、巨人戦3勝1敗。セ5球団で対松井の被打率が2割2分3厘と一番低く、与四球16で最も少なかったのはヤクルトです。松井封じに成功し、巨人戦19勝8敗とチームとしても圧倒しました。
逆に言えば、ペナントレースの行方を左右してしまうほど松井攻略は重要なミッションで、それだけ偉大な打者だったとも言えるでしょう。












