【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(26)】初出場となった1996年の球宴前には、ささやかな夢をかなえることもできました。前半戦最後の登板となった7月16日の横浜戦(横浜)での出来事です。
過去3試合の登板で計11回を投げて対戦防御率0・82と好相性のチーム相手に立ち上がりから絶好調で、2回一死一、三塁の場面ではプロ初のスクイズにもトライ。これは失敗してしまいましたが、直後のボールを中前にはじき返してプロ初打点をマークしました。
8回までは散発2安打で無失点。12点リードの9回に二死走者なしから鈴木尚典の右前打に、ブラッグスの三ゴロが山口重幸さんの失策を誘い、ローズへの死球で満塁とバタバタしてしまいましたが、最後に駒田徳広さんを遊飛に打ち取り、晴れて一軍公式戦では初の“アレ”に臨みました。僕にとっての“アレ”とは、阪神・岡田彰布監督とは違い「勝利のハイタッチ」だったのです。
既に6月22日にプロ初完投を初完封で飾っていましたが、その際は相手先発の山本昌さんも丁寧な投球で8回まで無失点と好投し、勝負を分けたのは9回に飛び出した古田敦也さんのサヨナラ打。僕もベンチを飛び出して歓喜の輪に加わりましたが、マウンドを降りて捕手の古田さんと歩み寄りながらのハイタッチという“あるある”はお預けになっていたのです。
どんな形であれ、勝利投手になるのはうれしいこと。しかし、いくら点差があっても完投でなければ、試合終了の瞬間まで救援投手に「お願い、抑えてください」と見守るしかありません。9回を自分一人で投げ抜き、球界を代表する捕手の古田さんとハイタッチ。この満足感は何物にも代えがたいものでした。
翌日、スポーツ紙に目を通すと、ブロスと並ぶチームトップの7勝(7敗)で前半戦を終えた僕について、野村監督のこんな談話が載っていました。
「田畑はスコアラーが育てたんや。ミーティングの積み重ねで頭を使うようになった。あとは信頼と自信やな。言うことなし。田畑がエースや。ワシと一緒で日本海育ちのボーッとしたところがあるけど、春先に比べたら成長したわ」
日本海育ちうんぬんはさておき、スコアラーさんをはじめ、周りの方々に恵まれました。野村監督との出会いは言うに及ばずで、古田さんについても触れておかなければなりません。2015年に野球殿堂入りも果たした日本を代表する名捕手で、僕などがとやかく言うまでもないのですが、初めてバッテリーを組ませていただいた96年は、古田さんにとって苦しい一年でもありました。
不動のレギュラーとなった91年以降では、シーズン序盤に右手人さし指を骨折した94年を除けば出場119試合、打率2割5分6厘はともにワーストで、2年連続の日本一を狙ったチームも勝率5割前後をウロウロしていたことから、古田さんは何かと矢面に立たされていたのです。












